おんたけじんじゃちがやぐう
御嶽神社茅萱宮の御由緒・歴史
歴史詳細情報
創建は不明であるが明治15年に祭祀の記録あり。
木曽の御嶽山を信仰する御嶽講として この地で祭祀を行い 一帯の多くの信仰を集めていた。
昭和59年 区画整理事業により社殿を建て替え現在の形となる。
その際、神勅により御扉を6つとし、御嶽大神《國之常立神・大己貴神・少彦名神
》を主祭神に、芸能を司るとされる湖の神《市杵島姫神》、この地域の守り神である《天照皇大御神》、大国主大神の別名であり霊界を治める《幽冥主宰大神》と共に、御嶽山を信仰してきた霊神様達を祭神としてお鎮まりいただいた。
現在は、単立としての神社と講の二面の役割を持つ。
また、末社の金刀比羅宮は海上安全などを司る神様《大物主大神》であり、かつてこの辺りまで海であったという伝承を裏付けるかのように、この土地に眠るかつての海の神様が祀られる。
山から海へという水の流れの“はじまり”と“おわり”をそれらの司る神様にお守りいただくことにより命の水、また命そのものの流れ、循環を御守護いただいている。
「茅萱宮」という名も神勅により定められたが
茅(チガヤ)はやせた土地でも育ち、ちょうど夏至の頃に白い花穂をつけ、その後は枯れて地中で根を発達させる植物の名で、太陽の運行に合わせた陰陽の流れを体現してくれるものとして茅の輪に見られるように古くから私たちの祓い清めを助けてくれている。
その名のとおり訪れた方々の心身が祓い清められ、本来の魂へと生まれ変わる場としてのお役目を果たしていく。
ご祭神 | 國之常立大神 大己貴大神 少彦名大神 | |
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ご由緒 | 創建は不明であるが、明治15年に祭祀の記録あり。御嶽教として、この地で一帯の信仰を集めていた。昭和59年に区画整理事業により社殿を建て替え現在の形になる。
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