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水守神社ではいただけません
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みずもりじんじゃ

水守神社
福島県 草野駅

9:00-16:00(※大國魂神社社務所)

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

大國魂神社(本務社)の駐車場から徒歩

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ダイコン
2023年05月20日(土)
110投稿

江戸時代に、地域の農業用水である「愛谷江筋」を開拓した三森治右衛門が祀られている神社です。
この開拓によって、現在まで農業は大きな恩恵を受けています。
御朱印は、近くの大國魂神社でいただけます。

水守神社の御朱印

近くの大國魂神社で頂いた御朱印。

水守神社の鳥居

参道入口の鳥居。

水守神社の周辺

参道前を流れる、江戸時代からの農業用水路、愛谷江筋。

水守神社のお墓

開拓者・三森治右衛門のお墓。

水守神社の歴史

由緒書。

水守神社の本殿

けっこうな段数の石段をあがると、拝殿に辿り着きます。

水守神社の本殿

拝殿。

水守神社の本殿

本殿。

水守神社の本殿
水守神社の末社

境内には、熊野神社と養蚕神社も祀られていました。

水守神社の末社
水守神社の周辺

石段が多く、慎重に降りて帰りました。
(手すりがあるので安心です)

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歴史

【 創建 】
水守神社は、昭和26年3月15日に創建されました。
この神社の社名は水守神社となっていますが、祭神は三森治右衛門光豊命です。
姓が三森であり、社名の水守との語呂合わせが不思議な縁であるとも言えます。
水守とは「天之水分神」という観念を引き継いでいるものです。
【 御祭神・三森治右衛門経歴 】
三森治右衛門は、寛永13年(1636年)4月7日に生まれました。
16歳の時には平藩主内藤忠興公に仕え、三森内匠と呼ばれました。
その後、澤村勘兵衛勝為の指導のもと小川江筋の開削工事に携わりましたが、勘兵衛勝為は藩主の命により自刃。
それにより治右衛門は決意を固め、大室と大森の二つの洞穴の掘削を進めました。
なお澤村勘兵衛勝為は、澤村神社の御祭神としてその功績を称え祀られています。
【 水利事業による五穀豊穣 】
三森治右衛門は延宝2年(1674年)3月、39歳の盛りで愛谷江筋の工事を開始しました。
工事は紆余曲折を経て4里5町余りに及び、その間には大小14の閘門が設けられ、灌漑面積は510余町歩に及びました。
愛谷江筋の完成は延宝7年(1679年)で、その間は大きな労苦が伴いましたが、小川江と並んでこの地域の水利事業はほぼ完全に整備され、五穀豊穣をもたらしました。
現在のいわき市は、多くの地域が三森治右衛門の恩恵を受けて発展したと言えます。
【 指導力と技術力 】
小川江筋や愛谷江筋の開削において指導的役割を果たした光明寺の観順和尚は、三森治右衛門に対して深い信頼を寄せ、その指導力と技術の卓越さを高く評価していました。
三森治右衛門は元禄7年(1694年)11月17日に58歳で亡くなりました。

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名称水守神社
読み方みずもりじんじゃ
参拝時間

9:00-16:00(※大國魂神社社務所)

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0246-34-0092(※大國魂神社社務所)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神御祭神 三森治右衛門光豊命
創建時代昭和26年(1951年)3月15日
ご由緒

【 創建 】
水守神社は、昭和26年3月15日に創建されました。
この神社の社名は水守神社となっていますが、祭神は三森治右衛門光豊命です。
姓が三森であり、社名の水守との語呂合わせが不思議な縁であるとも言えます。
水守とは「天之水分神」という観念を引き継いでいるものです。
【 御祭神・三森治右衛門経歴 】
三森治右衛門は、寛永13年(1636年)4月7日に生まれました。
16歳の時には平藩主内藤忠興公に仕え、三森内匠と呼ばれました。
その後、澤村勘兵衛勝為の指導のもと小川江筋の開削工事に携わりましたが、勘兵衛勝為は藩主の命により自刃。
それにより治右衛門は決意を固め、大室と大森の二つの洞穴の掘削を進めました。
なお澤村勘兵衛勝為は、澤村神社の御祭神としてその功績を称え祀られています。
【 水利事業による五穀豊穣 】
三森治右衛門は延宝2年(1674年)3月、39歳の盛りで愛谷江筋の工事を開始しました。
工事は紆余曲折を経て4里5町余りに及び、その間には大小14の閘門が設けられ、灌漑面積は510余町歩に及びました。
愛谷江筋の完成は延宝7年(1679年)で、その間は大きな労苦が伴いましたが、小川江と並んでこの地域の水利事業はほぼ完全に整備され、五穀豊穣をもたらしました。
現在のいわき市は、多くの地域が三森治右衛門の恩恵を受けて発展したと言えます。
【 指導力と技術力 】
小川江筋や愛谷江筋の開削において指導的役割を果たした光明寺の観順和尚は、三森治右衛門に対して深い信頼を寄せ、その指導力と技術の卓越さを高く評価していました。
三森治右衛門は元禄7年(1694年)11月17日に58歳で亡くなりました。

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