こがいくにじんじゃ
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蠶養國神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年10月28日(月)
参拝:2024年10月吉日
蠶養國神社
御由来
蚕養国神社は、日本一社にして延喜式神名帳にある、陸奥一百座の一つである。
謹んで日本国史を読むと、記紀神代の巻に、
「軻遇突知命、埴山姫命を娶り稚産霊命を生奉る。此神の御頭より蚕生れ出でし。」
とあり、これが我国の養蚕の始まりである。
第五十二代嵯峨天皇の御代弘仁2年(811)鎮座にて、第五十四代仁明天皇承和年中に、 官社に列せられ、醍醐天皇の御代延喜式選定の折、式内の社となる。
一条天皇寛弘7年(1011)に、県令、石部少将道秀・堂家左京大夫憲照・石塚丹後頼春等により、 社殿を造営す。その時の神官を、蚕養蔵人という。
その後、兵火のため社殿炎上し神離の境内で あったが、保科正之侯が官工、鷹谷弥十郎宗清に命じ、社殿以下を造営し、社領20石を寄付、 櫻町天皇寛保3年(1743)には正一位の極階に進まれた。
文化4年社殿焼失し、文政2年(1819)松平容敬朝臣、社殿以下を、正之侯創立のものに写し、 今日に至る。
御神徳養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されている。
御由来
蚕養国神社は、日本一社にして延喜式神名帳にある、陸奥一百座の一つである。
謹んで日本国史を読むと、記紀神代の巻に、
「軻遇突知命、埴山姫命を娶り稚産霊命を生奉る。此神の御頭より蚕生れ出でし。」
とあり、これが我国の養蚕の始まりである。
第五十二代嵯峨天皇の御代弘仁2年(811)鎮座にて、第五十四代仁明天皇承和年中に、 官社に列せられ、醍醐天皇の御代延喜式選定の折、式内の社となる。
一条天皇寛弘7年(1011)に、県令、石部少将道秀・堂家左京大夫憲照・石塚丹後頼春等により、 社殿を造営す。その時の神官を、蚕養蔵人という。
その後、兵火のため社殿炎上し神離の境内で あったが、保科正之侯が官工、鷹谷弥十郎宗清に命じ、社殿以下を造営し、社領20石を寄付、 櫻町天皇寛保3年(1743)には正一位の極階に進まれた。
文化4年社殿焼失し、文政2年(1819)松平容敬朝臣、社殿以下を、正之侯創立のものに写し、 今日に至る。
御神徳養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されている。
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