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阿邪訶根神社の日常(62回目)福島県郡山駅

宇倍神社と鳥取士族の歴史

投稿日:2021年04月28日(水)
兼務社である宇倍神社(うべじんじゃ)の春のお祭りがありました。
20日は宵祭り、21日は例大祭で御神楽の奉納がされました。
…相変わらず、写真がありません(;^_^A
そこで、宇倍神社の歴史についてご紹介します。

郡山市喜久田町に鎮座する宇倍神社は
鳥取県鳥取市に鎮座する 宇倍神社の御分霊をお祀りする同名神社です。
因幡の国一之宮 宇倍神社 https://www.ubejinja.or.jp/index.php

郡山の宇倍神社の始まりは安積開拓と繋がっています。
明治政府の士族授産と殖産興業の方針のもとに「安積疏水(猪苗代湖から山を越えて郡山まで水を引く事業)」の計画が決まり、
その開拓の為に封建制度の廃止によって職を失った多くの元武士が郡山に移住し参加しました。
その中に、鳥取から移住してきた士族もいたのです。
安積開拓 https://www.city.koriyama.lg.jp/shiseijoho/3/8800.html

鳥取から安積原野までおよそ1050㎞。この距離を徒歩と鉄道、船も使いながら、
何もない所へ行くからと所帯道具全て(織機までも)を持って移動したそうです。相当な覚悟だったことでしょう。
この覚悟の移住に際し、鳥取士族の精神的支柱として一之宮である宇倍神社の御分霊の奉祀を願い出て授与され、
郡山の原野に「宇倍神社」を創立したのです。

痩せた土地でまともな作物も取れず困窮する中、
宇倍神社を心の支えとして守り維持管理してきた鳥取士族・・・

その歴史を紐解いたのは平成6年、喜多方ラーメン調査の為に来県していた鳥取女子高等学校社会部でした。
会津若松市の県立博物館で安積開拓展示の中に「鳥取」の文字を見つけ、苦労の調査の末に宇倍神社に繋がるのです。

社会部のお陰で平成9年には鳥取士族子孫が「ふるさと訪問団」として招かれ、
一之宮宇倍神社への参拝を果たしました。(宮司代理として義母も同行しました。)

鳥取女子高等学校社会部は、平成11年に第42回全国学芸科学コンクールで
「鳥取士族の安積野開拓移住」が人文科学研究の部で文部大臣奨励賞を受賞しました。

 
以上、「広谷原を拓いて 鳥取・高知開墾の歴史」(矢部洋三・著)からの抜粋です。

日本の各地には開拓の痕跡として苗字や地名が残されています。
その時代、大変な苦労をして土地を切り開いた先人がいたからこそ
今の私たちの生活があることを神社を通じて伝えていけたらと思います。

喜多方ラーメンから安積開拓の鳥取士族に行き着いたのって、凄いな~




阿邪訶根神社の授与品その他
土佐士族も近隣に開拓で入っており、その様子の記載もあります。
のちに地区の編入などもあって土佐士族の一部が宇倍神社の氏子になりました。
阿邪訶根神社の授与品その他
宇倍神社総代として尽力された 故近藤源治さんと社会部の偶然の出会いがなければ、
鳥取士族子孫の「ふるさと訪問」はありませんでした。

すてき

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