信行寺の日常(39回目)|福岡県宇美駅
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投稿日:2020年05月07日(木)
【ブッダに学ぶ。恨みや勝敗を捨てる生き方】
今回は、仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)の生涯から、恨みや勝敗を捨てる生き方を学びたいと思います。
▼動画・音声でご覧になりたい方はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=XP_NCeaTgJQ
ブッダ(お釈迦様)は、現在のインドやネパールを中心に活動した方です。ブッダが生きた時代は、様々な国が資源や土地を奪い合い、争いの絶えない戦乱の世であったと伝わっています。
その当時に生きた人々は、戦乱の中で、はかなさを感じ、時代に翻弄をされた人生送った人も多かったことでしょう。そのような中にあって、ブッダの言葉が人々の心をうち、大変な説得力を持って、伝わったのだと思われます。
そして今なお、ブッダの言葉は世界各地で息づき、大切にされています。
今回は、特に、恨みを捨て、勝敗を捨て、幸せになることを説いたブッダの生涯から、生き方を学びます。
憎しみや恨みの思いが沸き起こりつつも、そんな自分の感情を何とかしたいと思っている方。競争社会、争いの中で、勝敗(勝ち負け)の人生に疲れた方。そんな方々にとって、少しでも参考になれば嬉しく思います。
最後までお読みいただけますと幸いです。
目次
争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問
恨みを捨てる生き方
勝敗を捨てる生き方
守らなければ奪われてしまうという現実をどう考えればよいか
我々にできること
▷争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問
前述の通り、ブッダが生きた時代は、多くの国が群雄割拠し争い合った戦乱の世だったと言われます。軍事力の強い国が、水源や食料の豊かな土地を力尽くで奪い、多くの国が滅亡しいったと伝わっています。
ブッダの一族である釈迦族も、ブッダ晩年前後に滅ぼされたとも言われます。
戦争や紛争の敗者は、あらゆる物を奪われ、失います。家族や家、財産、自由、人としての誇りなどです。
ブッダが出家をして、真理を求めたのは、こうした争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問も背景にあると言われています。そして、正しい人間としての生き方とは何か、その答えを求めて出家したと考えられます。
そうしてさとりをえたブッダが説いた「全てのものは無常である」という諸行無常の言葉や、「あらゆるものは思い通りにならない」という一切皆苦(いっさいかいく)の言葉は、この戦乱の世を生きる人々にとって、大きな実感を持ち、心を捉えたのだろうと思われます。
また、視点を移してみると、国と国とが争いを続けているのは現代も同じです。
水や食料、石油やガス、金属、海域など、資源の内容は時代によって変わろうとも、豊かな資源を求め、軍事力が強い国がそれを侵略する構図は現代も変わっていません。そして、そこから得た資源や利権を、一部が享受するという構図も昔から変わりません。
▷恨みを捨てる生き方
前述のように、戦争や紛争の敗者は、家族や家、財産、自由、人としての誇りなど、あらゆる物を奪われ、失います。
そして、そこから生まれる恨み、憎しみは表現できないほど大きなものでしょう。さらに、その恨み憎しみが、復讐の思いとなって、新たな争いが勃発します。
憎悪が渦巻き、復讐がおこなわれ続ける限り、一方が他方を全て殺し尽くすまで、恨みの連鎖は止まることはありません。
ブッダは、こうしたあらゆるものを奪われ、恨みや憎しみを抱く人々に対して、恨みの連鎖を止める唯一の方法を説きました。
それは、恨みや執着を捨てることです。『ダンマパダ』という経典の中に、このような言葉が記されています。
「恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生きよう。恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく暮らしていこう」
『ダンマパダ』197
ただし、大切な人やものを奪われた人にとって、恨みを捨てることは容易ではありません。奪った側が、何食わぬ顔で、その利益を享受していたらなおさらです。
どこかで恨みの連鎖をやめなければ、永遠に争いは続いていく。そのことは頭では理解できても、いざ当人となれば、怒りを抑え、憎しみを捨てることは難しいことです。
ただ、どこかで恨みの連鎖をやめないことには、殺し尽くすまで終わらないことも事実です。
人々の思いを痛いほど感じつつも、恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生き、暮らしていくことを、ブッダは勧めたのでした。
▼続きはこちら
https://online-temple.net/?p=328
今回は、仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)の生涯から、恨みや勝敗を捨てる生き方を学びたいと思います。
▼動画・音声でご覧になりたい方はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=XP_NCeaTgJQ
ブッダ(お釈迦様)は、現在のインドやネパールを中心に活動した方です。ブッダが生きた時代は、様々な国が資源や土地を奪い合い、争いの絶えない戦乱の世であったと伝わっています。
その当時に生きた人々は、戦乱の中で、はかなさを感じ、時代に翻弄をされた人生送った人も多かったことでしょう。そのような中にあって、ブッダの言葉が人々の心をうち、大変な説得力を持って、伝わったのだと思われます。
そして今なお、ブッダの言葉は世界各地で息づき、大切にされています。
今回は、特に、恨みを捨て、勝敗を捨て、幸せになることを説いたブッダの生涯から、生き方を学びます。
憎しみや恨みの思いが沸き起こりつつも、そんな自分の感情を何とかしたいと思っている方。競争社会、争いの中で、勝敗(勝ち負け)の人生に疲れた方。そんな方々にとって、少しでも参考になれば嬉しく思います。
最後までお読みいただけますと幸いです。
目次
争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問
恨みを捨てる生き方
勝敗を捨てる生き方
守らなければ奪われてしまうという現実をどう考えればよいか
我々にできること
▷争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問
前述の通り、ブッダが生きた時代は、多くの国が群雄割拠し争い合った戦乱の世だったと言われます。軍事力の強い国が、水源や食料の豊かな土地を力尽くで奪い、多くの国が滅亡しいったと伝わっています。
ブッダの一族である釈迦族も、ブッダ晩年前後に滅ぼされたとも言われます。
戦争や紛争の敗者は、あらゆる物を奪われ、失います。家族や家、財産、自由、人としての誇りなどです。
ブッダが出家をして、真理を求めたのは、こうした争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問も背景にあると言われています。そして、正しい人間としての生き方とは何か、その答えを求めて出家したと考えられます。
そうしてさとりをえたブッダが説いた「全てのものは無常である」という諸行無常の言葉や、「あらゆるものは思い通りにならない」という一切皆苦(いっさいかいく)の言葉は、この戦乱の世を生きる人々にとって、大きな実感を持ち、心を捉えたのだろうと思われます。
また、視点を移してみると、国と国とが争いを続けているのは現代も同じです。
水や食料、石油やガス、金属、海域など、資源の内容は時代によって変わろうとも、豊かな資源を求め、軍事力が強い国がそれを侵略する構図は現代も変わっていません。そして、そこから得た資源や利権を、一部が享受するという構図も昔から変わりません。
▷恨みを捨てる生き方
前述のように、戦争や紛争の敗者は、家族や家、財産、自由、人としての誇りなど、あらゆる物を奪われ、失います。
そして、そこから生まれる恨み、憎しみは表現できないほど大きなものでしょう。さらに、その恨み憎しみが、復讐の思いとなって、新たな争いが勃発します。
憎悪が渦巻き、復讐がおこなわれ続ける限り、一方が他方を全て殺し尽くすまで、恨みの連鎖は止まることはありません。
ブッダは、こうしたあらゆるものを奪われ、恨みや憎しみを抱く人々に対して、恨みの連鎖を止める唯一の方法を説きました。
それは、恨みや執着を捨てることです。『ダンマパダ』という経典の中に、このような言葉が記されています。
「恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生きよう。恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく暮らしていこう」
『ダンマパダ』197
ただし、大切な人やものを奪われた人にとって、恨みを捨てることは容易ではありません。奪った側が、何食わぬ顔で、その利益を享受していたらなおさらです。
どこかで恨みの連鎖をやめなければ、永遠に争いは続いていく。そのことは頭では理解できても、いざ当人となれば、怒りを抑え、憎しみを捨てることは難しいことです。
ただ、どこかで恨みの連鎖をやめないことには、殺し尽くすまで終わらないことも事実です。
人々の思いを痛いほど感じつつも、恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生き、暮らしていくことを、ブッダは勧めたのでした。
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すてき
投稿者のプロフィール
神崎修生244投稿
浄土真宗本願寺派の僧侶。福岡県宇美町 信行寺。「仏教やお寺を身近に。人生を心豊かに」をテーマに、動画やブログを発信中。お寺のオンライン朝会も開催。寺院関係者の学びの場「Bラーニング」も主催。
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