わかさひめじんじゃ
若狭姫神社(若狭彦神社下社)
福井県 東小浜駅
若狭一の宮は神社の記録によりますと、養老5年(721)に創建されたといわれています。上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んでいます。祭神は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫) で、海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。
本殿の屋根が流れるように伸びていますので、やさしく美しい感じを受けます。
~小浜市公式サイトより抜粋~
自分以外に参拝者はチラホラ見えましたが、ゆっくり心静かに参拝出来ました🙏
千年杉は強力なパワースポットのようです😄
社号標
由緒書き
手水舎
鳥居
社務所
随神門①
随神門②
神門
本殿
足形に合わせて上を見上げると…
千年杉ですね❗️
招霊(おかだま)の木
石灯籠
鯖街道にあったものを移設
末社 中宮神社
末社 日枝神社
乳神さま
古くから、妊婦や母乳の少ない方が祈願すると、豊かな乳を授かると伝えられ、子宝、安産などのご利益があるとされている
子種石
書き置き
若狭彦神社の御朱印とセットで600円でした
【若狭國 式内社巡り】
若狭姫神社は、福井県小浜市遠敷にある神社。式内社(名神大)で、若狭國二之宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。上社(若狭彦神社)と下社(若狭姫神社)で構成され、祭神は上社が産火火出見尊(ひこほほでみ)、下社が豊玉姫命。別称は「遠敷(おにゅう)明神」。
社伝によると、奈良時代の714年、祭神二神が示現した遠敷郡下根来村白石の里に若狭彦神社が創建され、翌年現在地に遷座した。721年に若狭彦神社から分祀され若狭姫神社が創建された。国史の初見は平安時代の『日本三代実録』859年条で「若狭比古神」と「若狭比咩神」の神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「若狭國 遠敷郡 若狭比古神社二座 名神大」に比定されている。中世には上社が若狭國一之宮、下社が若狭國二之宮とされた。もともと祭祀は上社が中心であったが、室町時代ごろから下社に移ったとされる。明治時代に入り、近代社格制度において国幣中社に列格した。
当社は、JR小浜線・東小浜駅の南方700mの、幹線道路・国道27号線も近い遠敷川の西岸の平地にある。境内は広々としていて、過度に整備せず自然豊かな印象。見応えがあるのは本殿近くの瑞垣内に建っている御神木の千年杉で、本殿や随神門などの構造物も屋根が苔生すなども古風な味わいがあり、古社らしさが味わえる。
今回は、若狭国の式内社、若狭國二之宮、旧国幣中社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも数組の参拝者が訪れていた。
境内東端入口全景。
境内入口の<鳥居>。
参道左側の<手水舎>。
参道進んで、左側の建物には<古船の模型>。
さらに進んで、参道左側の<遥拝所>。左側の立札には「創祀の社、鵜の瀬白石神社 遙拝所(南4.6km)」、右側の立札には「上宮(かみのみや)・若狭彦神 遙拝所(南1.5km)」と書かれている。
参道右側の建物は<社務所>。右端は<授与所>。御朱印はこちら。
参道正面の<随神門>。写真はうまく撮れなかったが、面白いことに随身像が片側に4体、合わせて8体収められている。
隋神門をくぐったところからの景色。森に抱かれた厳かな社。
拝殿前の巨木は御神木の<千年杉>、すごいインパクト。
本殿前の神門のように見える<拝殿>。
<拝殿>内部。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿に向かって左手にある<神饌所>。
神饌所の前に立つ<乳神さま>。
神饌所の右手にある<日枝神社>。
日枝神社の左手、本殿の左側にあるにある<中宮神社>。
中宮神社前から見た<本殿>。「本殿の南の拝所」との立看板が立っている。
本殿の左側から右側に向かう。それにしても見た目強烈な<千年杉>。
本殿の右側にある<玉守神社>。
境内北側にある建物。神器庫か何かかな。
こちらは<石燈籠>。もともと若狭から京に続く<鯖街道>沿いに立っていたものとのこと。
明治時代に京都御所から譲り受けた<招霊(おがたま)の木>。
招霊の木の近くに立つ句碑。
境内北側、随神門よりの場所に建つ<能舞台>。
最後に、社殿周り全景。千年杉が古社の趣をより深いものにしている。(^▽^)/
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