臨済宗妙心寺派
常高寺のお参りの記録一覧
若狭観音霊場巡礼で参拝。23番札所。
本尊は釈迦如来。札所本尊は聖観音。
1630年常高院(初=浅井長政とお市の方の次女、小浜藩主京極高次室)が夫の菩提を弔い、父母の供養の為に建立を発願し創建された。開山は槐堂周虎禅師。
1633年江戸で亡くなった常高院の遺骸は境内に葬られ、宝篋印塔が建てられている。
本堂
鐘楼
梵鐘
山門
山門
常高院位牌
庭園
庭園
庭園
宝篋印塔(常高院墓)
宝篋印塔(常高院墓)
稲荷社
稲荷社
令和2年6月、小浜市の臨済宗妙心寺派常高寺卍
JR小浜駅の西1kmほどの小浜浅間、今は通れませんがJR小浜線が石段参道を突っ切ってます🚃
小浜藩主京極高次の妻で、浅井三姉妹の次女常高院(お初の方)の発願により建立。
常高院は寛永10年(1633)に江戸で没した後に、遺骸が常高寺に運ばれ葬られました🙏
明治以降は本堂が焼失するなど荒れた状態でしたが、平成になって山門や本堂の修復再建が行われてます。
若狭三十三観音霊場第23番。
参拝時は境内で「花しょうぶ祭り」が開催中でした。
お初は浅井三姉妹の中では目立たない存在。
姉の茶々は豊臣秀吉の側室となり、秀頼を産みます。
妹の江は徳川秀忠の妻となり、三代家光を産みます。
歴史の大舞台に登場する姉と妹に比べ、夫は京極高次で子も産んでません。ちなみにお初が嫁いだ頃の高次の石高は一万石だったそうです。
しかし天下取りや将軍の妻(母)といった姉妹達よりも、騒乱に巻き込まれにくかったことで、三姉妹の中では一番の長生きでした✨
生涯で四度も落城(小谷城、北ノ庄城、大津城、大坂城)を経験しながら、64年の生涯を生きました👏
山門
花しょうぶ祭り
常高院墓所
亡くなった時に何歳だったかは、色々な数字が😥
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