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總社大神宮のお参りの記録一覧
福井県 武生駅

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2019年09月14日(土)202投稿

総社とは大化改新の結果、越前国にも国府が置かれ、国司は管内の官社を初め、国内神名帳所載の諸社を巡り親しく巡拝することになっていたが、やがて巡拝の労を少くする為や、急を要する祈願や祭礼のために、国司所祭の神霊を一ヶ所に合祀して総社が建てられた。爾来、当社が越前国における総社とされる。

奈良時代の天平11年には聖武天皇の勅願で諸国の総社に大己貴命(大国主命ともいい国土経営の神であり土地の守り神としても信仰されている)を併わせて祀ることとなり、社伝に曰く同年5月5日丙申の日に神霊が遷され、この併祀の際、大和国大神神社大物主の祭主、大田田根子命の後胤忠磨を筑前国糟谷郡より召し、この御鎮祭の砌帝都より供奉したという。元糟谷郡より出たるを以て、糟谷を氏とし、元祖大田田根子命の田田を忠に用い、今にその職を伝えている。

以後総社は越前一の宮及び二の宮と共に越前における代表的な社として、奉額小野道風筆、社領百十余町、社家数十家有り、鐸声滄々皷声鼕々として尊厳なる勅祭の大社であり、代々領主及び人々と崇敬をうけた。

鎌倉時代の末期正応5年頃には遊行上人一遍の弟子真教が数度に亘り参詣し、白山平泉寺僧徒の攻撃をうけるなどの争乱も歴史に名高い。

室町時代になると打続く戦国争乱により、神領を蚕食され社殿が焼かれてその勢力は衰退したが、文明4年越前守護朝倉孝景公により当社社家宛に神領安堵の黒印状が出され、更に天正元年には織田信長の朱印状が出されている。

天正年中前田利家公府中在城の時、本殿及び拝殿が寄進され、松平秀康公入国以来深く当社を崇敬して数多の社領を寄進、同忠昌公、光通公の代になり、社領の判物を納め、時に応じて社参奉幣がなされた。

本多富正公が武生の領主となった間もない慶長13年30石の社領が寄進され、以後歴代の崇敬をうけ、文化元年甲子8月鎮座一千年の大祭が斎行された。

旧福井藩にて郷社に列し、明治8年同4月11日旧敦賀県にて県社に列せられ、同41年4月26日神饌幣帛料供進の神社に指定された。同44年7月25日武生並木町美雪にあって天照皇大神を祀る無格社神明神社を合併した。

現在の社殿は大正15年6月に造営されたもので、本殿は流造り、拝殿は入母屋造りで、千鳥破風を乗せ唐破風の向拝がついている。

(神社庁HPより)

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