えいへいじ|曹洞宗|吉祥山
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楽しみ方永平寺のお参りの記録一覧

福井に出張なので5時に家を出て寄り道してきました🚅
きっと一生もう来ることがない場所だと頑張っちゃいますよね😅
禅寺ということだけど何を見ればいいのか分からず…
苔とか紅葉がきれいだったのでのんびりさせていただきましたが、仏様はよく分からず…
帰りは大雨になったので悪いものを流していただけたのかなって思います☔️










































永平寺にお参り。
今年は、ご縁がご縁と重なり、3度目となりました。
次は、年明けにお伺いできるのかな?

直書き御朱印になります。






























ほっきょ荘でご飯

弥勒院大師講さま

昼食はこちら、朝抜きだったのでペロペロっと入って行きました、ご馳走様ですぅ🙏

【吉祥山(きちじょうざん)永平寺(えいへいじ)】
本尊:釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来
宗派:曹洞宗
開山:道元
開基:波多野 義重(はたの よししげ)
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第17番~
永平寺は、福井県吉田郡永平寺町に位置する。道元(1200–1253)による開山で有名。旧仏教と妥協せず、国家権力と結びつくことも避け、道元は43歳の頃、後援者の波多野 義重のすすめで越前に赴く。最初、九頭竜川左岸の吉峰寺(きっぽうじ)に入ったが、翌年の1244(寛元2)年、現在の志比谷(しひたに)に傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。その2年後、道元は寺号を永平寺と改め、山号を吉祥山とした。「永平寺」という寺号は、後漢(ごかん)の永平年間(58-75)に仏教が中国に伝来したとされることに由来するという。
~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~

【龍門】





【手水舎】

【手水舎の龍】

【通用門】

【吉祥閣(きちじょうかく) 境内図 】
禅宗寺院では七堂伽藍を人体にたとえて配置しているようです。そういえば、高岡の瑞龍寺の配置図も人体で表していました。
~永平寺の伽藍の中心は仏殿で、これが人体では心臓にあたる。次に、法堂が人体の頭にあたり、僧堂が右手、庫院が左手、東司が右足、浴室が左足にあたる、というのである。庫院は一般のお寺では庫裏と呼ばれるもので、寺内の食事をここで調える。要するに台所だ。また、東司はトイレのことである。~

【傘松閣(さんしょうかく) 絵天井の間】



【七堂伽藍へ】

【僧堂】

【仏殿】

【仏殿 内陣】
~仏殿の須弥壇中央には、禅宗の本尊である南無釈迦牟尼仏、その右側には弥勒仏、左側には阿弥陀仏が祀られている。これは、道元が学んだ中国の天童山にならったもので、現在・未来・過去の三世如来とされているらしい。~

【承陽殿(じょうようでん)】

【法堂(はっとう)】

【法堂】

【法堂 内陣】
法堂は、住職が修行僧に説法するためのお堂。聖観世音菩薩を祀っています。

【法堂から見た景色】

【光明蔵】

【瑞雲閣】

【大庫院(だいくいん)】

【大すりこぎ棒】

【大庫院 韋駄尊天】

【松平家廟所】

【経蔵】


【浴室】

【仏殿から見る中雀門・ 後に山門】


【山門から見る中雀門】
~この山門はいつも開いている。しかし、永平寺は出家修行の道場であり、本来は求道心のある人のみがくぐるべき門なのだろう。そのため、参拝客もここから出入りすることはできないという。~

【山門 吉祥の額】
諸仏如来(しょぶつにょらい)大功徳(だいくどく)。
諸吉祥(しょきちじょう)中最無上(ちゅうさいむじょう)。
諸仏俱(しょぶつとも)に来って此(こ)の処(ところ)に入る。
是(こ)の故(ゆえ)に此(こ)の地最吉祥(ちさいきちじょう)。
~これは、道元が傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を吉祥山永平寺(きちじょうざんえいへいじ)と改めたときの法語だという。この「諸仏」とは、いろいろな仏さまや八百万(やおろず)の神さまが集まってくる、という意味ではないのだろう。先々仏になるべく志して一所懸命に修行する人びとのことを、道元は「仏」と呼んだのに違いない。この山門は、仏とならんと集う人びとを大きく手を広げて迎えているのである。~

【山門 四天王像】
北方多聞天王・東方持国天王。

【山門 四天王像】
南方増長天王・西方広目天王。

【鐘楼】


【祠堂殿(しどうでん)】

【報恩塔(ほうおんとう)】

【唐門(からもん)】


【御朱印】

6回目の参拝となります。曹洞宗大本山。道元によって開かれたお寺さんです。
道元禅師。1200年(正治2年)京都に生まれ、比叡山で出家。24歳で中国に渡り修行されます。28歳
日本に帰国。34歳で宇治に興聖寺を建立。その後波多野義重の要請で越前の国に移られ、永平寺を開かれます。
過去のお参り記録によりますと、お参りしたのは"夏"か"冬"。いずれもめちゃくちゃ暑かったり寒かったりした日のようです。😄
初めてお参りした日、雲水たちが黙々と庭で作業していて、その姿から"懸命にコツコツやることの大切さ"を思った記憶があります。


【龍門】
身が引き締まる思いです。

海外からの団体客もおられました。

【通用門】
拝観料を納めます。

【傘松閣 絵天井の間の天井】
1930年(昭和5年)当時の著名な画家による230枚の色彩画が飾られています。

【僧堂】

【法堂】
この日は、法要が行われており、沢山の僧侶が入堂されお経を唱えておられました。
法要が終わり、みんなが退堂されてから、お参りさせていただきました。🙏

職人さん方が庭の手入れされていました。


【中雀門】

【山門】
四天王

【山門】
四天王

美しい観音さんです。🙏

【唐門】
見事な苔にうっとりします。🙏

【報恩塔(納経塔)】


御朱印帳に書いていただきました。先に預けて帰りに受け取るシステムです。



傘松閣・絵天井の間です。230枚の天井絵があります。

起伏のある敷地なので、段数の多い階段もあります。寒い日はスリッパの貸し出しあります。

全体図

言わずと知れた大寺院に念願がなってようやく参詣。何もかもが巨大で、まるで自分が"小人かな?"と思うほど。そして煌びやかではないけれど非常に豪華。厳しい修行道場と聞くが、修行僧達のキビキビした動きが気持ちいい。同時に観光でウロウロして申し訳ない気持ちにも。各所で法要が行われていてその間は入れないが、入口から覗き見るその様子も厳かで見入ってしまう。
手にかけた布をさらりと広げて床に敷き五体投地し、またスルスルっと畳んで手首のあたりにかける所作の美しいこと。
建物や仏像に感服し、修行僧の身のこなしに感服し、ああやっぱりすごいお寺なのだと納得。




















永平寺をお参りしました。
今も数多くの修行僧を抱える曹洞宗の本山。
傾斜地を生かし、お釈迦さまの坐禅の形に配置された七つの建物が印象的でした。

まさに結界が張られているかの様な空気の違いを感じる入口

赤い部分が主となる七つの庫裡

手水舎は龍の口から水が出ますが…センサー蛇口でビックリ(笑)

入口の門と、入場料支払

天井絵が素晴らしかった


床の間には大きな達磨様の水墨画

傾斜地故に縦の移動は踏面が幅広く蹴上げの低い階段

回廊内の中庭、そこから見る一つ一つの建物が美しい

松平公廟所

横移動は平らな廊下

東司(東司)=トイレ

垂木と肘木が美しい

法堂
聖観世音菩薩様が中央に祀られ、手前には阿吽の白獅子が置かれている

外から見た縦移動の回廊。結構な角度です

監院寮

屋根を支える肘木
職人と建立に携わった人の熱が感じられる

仏殿
ここにはお釈迦さまが祀られていて、法堂と仏殿を合わせて本堂という意味合いになるのだとか。
逆に本堂という建物がこのお寺には存在しない

韋駄天様
大庫院にお祀りされており、僧や来客の食事を調える場所。韋駄天様は足が早いという事から手際良く無駄なく作業を行う為という意味があるらしい


山門を仏殿側の中雀門から

引戸も全て斜めになっている
自重で開かず、かといって力一杯開ける必要もない建具の仕組みが気になる


山門の四天王
左 北方 多聞天王
右 東方 持国天王

左 南方 増長天王
右 西方 廣目天皇

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