えいへいじ|曹洞宗|吉祥山
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楽しみ方永平寺のお参りの記録一覧

永平寺にお参り。
今年は、ご縁がご縁と重なり、3度目となりました。
次は、年明けにお伺いできるのかな?

直書き御朱印になります。






























ほっきょ荘でご飯

弥勒院大師講さま

昼食はこちら、朝抜きだったのでペロペロっと入って行きました、ご馳走様ですぅ🙏

11月🍁曹洞宗の大本山⛰永平寺にお参りしました😊全国から修行僧が集まる厳かな禅寺です🙏境内をぐるっと回って90分ほど🚶♀️見所が多くあっという間に時間が過ぎていました♪樹齢500年越の老杉がある境内、永平寺の杉で作られたお数珠をいただきました😊



新しい住職を迎える時に使われる唐門✨

通用門✨

一般参拝者はこちらから




傘松閣(別名 絵天井の間)✨

絵天井✨

230枚✨


全ての建物が回廊や階段でつながっています✨



















直書き御朱印いただきました😊

納経帖いただきました😊

【吉祥山(きちじょうざん)永平寺(えいへいじ)】
本尊:釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来
宗派:曹洞宗
開山:道元
開基:波多野 義重(はたの よししげ)
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第17番~
永平寺は、福井県吉田郡永平寺町に位置する。道元(1200–1253)による開山で有名。旧仏教と妥協せず、国家権力と結びつくことも避け、道元は43歳の頃、後援者の波多野 義重のすすめで越前に赴く。最初、九頭竜川左岸の吉峰寺(きっぽうじ)に入ったが、翌年の1244(寛元2)年、現在の志比谷(しひたに)に傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。その2年後、道元は寺号を永平寺と改め、山号を吉祥山とした。「永平寺」という寺号は、後漢(ごかん)の永平年間(58-75)に仏教が中国に伝来したとされることに由来するという。
~『百寺巡礼 第二巻 北陸』五木寛之(講談社、2003)~

【龍門】





【手水舎】

【手水舎の龍】

【通用門】

【吉祥閣(きちじょうかく) 境内図 】
禅宗寺院では七堂伽藍を人体にたとえて配置しているようです。そういえば、高岡の瑞龍寺の配置図も人体で表していました。
~永平寺の伽藍の中心は仏殿で、これが人体では心臓にあたる。次に、法堂が人体の頭にあたり、僧堂が右手、庫院が左手、東司が右足、浴室が左足にあたる、というのである。庫院は一般のお寺では庫裏と呼ばれるもので、寺内の食事をここで調える。要するに台所だ。また、東司はトイレのことである。~

【傘松閣(さんしょうかく) 絵天井の間】



【七堂伽藍へ】

【僧堂】

【仏殿】

【仏殿 内陣】
~仏殿の須弥壇中央には、禅宗の本尊である南無釈迦牟尼仏、その右側には弥勒仏、左側には阿弥陀仏が祀られている。これは、道元が学んだ中国の天童山にならったもので、現在・未来・過去の三世如来とされているらしい。~

【承陽殿(じょうようでん)】

【法堂(はっとう)】

【法堂】

【法堂 内陣】
法堂は、住職が修行僧に説法するためのお堂。聖観世音菩薩を祀っています。

【法堂から見た景色】

【光明蔵】

【瑞雲閣】

【大庫院(だいくいん)】

【大すりこぎ棒】

【大庫院 韋駄尊天】

【松平家廟所】

【経蔵】


【浴室】

【仏殿から見る中雀門・ 後に山門】


【山門から見る中雀門】
~この山門はいつも開いている。しかし、永平寺は出家修行の道場であり、本来は求道心のある人のみがくぐるべき門なのだろう。そのため、参拝客もここから出入りすることはできないという。~

【山門 吉祥の額】
諸仏如来(しょぶつにょらい)大功徳(だいくどく)。
諸吉祥(しょきちじょう)中最無上(ちゅうさいむじょう)。
諸仏俱(しょぶつとも)に来って此(こ)の処(ところ)に入る。
是(こ)の故(ゆえ)に此(こ)の地最吉祥(ちさいきちじょう)。
~これは、道元が傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を吉祥山永平寺(きちじょうざんえいへいじ)と改めたときの法語だという。この「諸仏」とは、いろいろな仏さまや八百万(やおろず)の神さまが集まってくる、という意味ではないのだろう。先々仏になるべく志して一所懸命に修行する人びとのことを、道元は「仏」と呼んだのに違いない。この山門は、仏とならんと集う人びとを大きく手を広げて迎えているのである。~

【山門 四天王像】
北方多聞天王・東方持国天王。

【山門 四天王像】
南方増長天王・西方広目天王。

【鐘楼】


【祠堂殿(しどうでん)】

【報恩塔(ほうおんとう)】

【唐門(からもん)】


【御朱印】

6回目の参拝となります。曹洞宗大本山。道元によって開かれたお寺さんです。
道元禅師。1200年(正治2年)京都に生まれ、比叡山で出家。24歳で中国に渡り修行されます。28歳
日本に帰国。34歳で宇治に興聖寺を建立。その後波多野義重の要請で越前の国に移られ、永平寺を開かれます。
過去のお参り記録によりますと、お参りしたのは"夏"か"冬"。いずれもめちゃくちゃ暑かったり寒かったりした日のようです。😄
初めてお参りした日、雲水たちが黙々と庭で作業していて、その姿から"懸命にコツコツやることの大切さ"を思った記憶があります。


【龍門】
身が引き締まる思いです。

海外からの団体客もおられました。

【通用門】
拝観料を納めます。

【傘松閣 絵天井の間の天井】
1930年(昭和5年)当時の著名な画家による230枚の色彩画が飾られています。

【僧堂】

【法堂】
この日は、法要が行われており、沢山の僧侶が入堂されお経を唱えておられました。
法要が終わり、みんなが退堂されてから、お参りさせていただきました。🙏

職人さん方が庭の手入れされていました。


【中雀門】

【山門】
四天王

【山門】
四天王

美しい観音さんです。🙏

【唐門】
見事な苔にうっとりします。🙏

【報恩塔(納経塔)】


御朱印帳に書いていただきました。先に預けて帰りに受け取るシステムです。



傘松閣・絵天井の間です。230枚の天井絵があります。

起伏のある敷地なので、段数の多い階段もあります。寒い日はスリッパの貸し出しあります。

全体図

言わずと知れた大寺院に念願がなってようやく参詣。何もかもが巨大で、まるで自分が"小人かな?"と思うほど。そして煌びやかではないけれど非常に豪華。厳しい修行道場と聞くが、修行僧達のキビキビした動きが気持ちいい。同時に観光でウロウロして申し訳ない気持ちにも。各所で法要が行われていてその間は入れないが、入口から覗き見るその様子も厳かで見入ってしまう。
手にかけた布をさらりと広げて床に敷き五体投地し、またスルスルっと畳んで手首のあたりにかける所作の美しいこと。
建物や仏像に感服し、修行僧の身のこなしに感服し、ああやっぱりすごいお寺なのだと納得。



















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