御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

えいへいじ|曹洞宗|吉祥山

永平寺のお参りの記録一覧
福井県 轟駅

1 / 10ページ1〜25件247件中
おりよ
おりよ
2026年09月21日(月)42投稿

永平寺というと、雪深い中、修行僧が歩くというイメージがあった。
義理の親戚菩提寺の僧侶が永平寺で修行していた時の話をよくしていたものでそう思いこんでいたのだろう。
1年中ずっと雪で寒いはず・・・そんな思い込みで行ったら、関東よりも暑い?
9月半ばの永平寺は深い緑の山であった。他の宗派の寺と比べて観光地化していないなと言うのが第一印象でもあった。静かである。清々しい場所であった。

五木寛之先生の本から少し紹介したい。

「生活こそは修行という道元の教え」
鎌倉仏教には2つの流れがある。市井に埋没する。
もう1つは、世俗を離れて深山に入り、自然と共に生きる、という考え方である。
道元と言う人は、後者を選んだのかもしれない。福井のこの山間の急な傾斜の中に、彼はあえて寺を建てた。こうしてこの場に立つと、道元がこの地を選んだ時の燃えるようなエネルギーというものを、おのずと感じずにはいられない。
密教系の寺院に比べて、禅宗の寺院はどこか質素で質朴な印象がある。しかも、男性的で意思の力というものを感じさせる。そこには、余計なものはいらない。ただ一筋に悟りを求めていくのだ、という道元の厳しい姿勢がうかがえるような気がする。
永平寺では、人間の生活のすべてが修行である、という考え方に立っている。
ここに入った雲水は、座禅はもちろん、衣食住の一切の行為を道元が決めた規則に従って行わなければならない。食事も修行、掃除も修行である。回廊にはチリ一つ落ちていない。これも毎日、雲水たちがくまなく雑巾で拭いているからだ。
現在における永平寺の存在自体が、俗世間のあかにまみれた人間にとって、一種のショック療法のようなものかもしれない。さらに、自己の「生」について考えさせる場所にもなっているのではなかろうか。
禅寺では「座って半畳、寝て一畳」で人間には十分だということを学ぶ。生活の要求水準を低く保つということは大事なことではないか。最低線の設定を低くしておけば、いつも幸福を感じていられるのだから。現状に満足して生きられなければ、いつも欲求不満の中で生きていることになってしまう。人間の進歩とは、欲求不満や欲望がもたらしたものだ、とも言われる。しかし、その進歩幻想というもの自体が、もはや崩壊しているのが現実ではなかろうか。
この「飽食の時代」に永平寺を訪れたことで。私自身、何かを忘れていたことを思い起こさせてもらった気がした。心を洗われたようないい1日だった。(百寺巡礼より)

尚、ここ永平寺は松尾芭蕉が奥の細道で立ち寄った場所でもある。

深山苔 呼吸整う 永平寺

もっと読む
Kazu
Kazu
2026年08月15日(土)2217投稿
御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ