さんかくじ|高野山真言宗|由霊山(ゆれいざん)
三角寺のお参りの記録一覧
3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の2寺院目です。
雲辺寺のロープウェイ駅から50分ほどで着きました。
駐車場に車を停めたら 急に雨が強くなりました。
街から少し外れた山寺で 雨が似合います。(負け惜しみではありません)
仁王門をくぐろうとしたら 鐘楼もありました。鐘楼仁王門?何て言うのかな。
まず目に入ったのは境内の巨木。いくつかありますが 木で支えられていました。
薬師堂・大師堂・本堂 どれもそれなりに古い建物で素敵でした。
本堂の梁には彫刻が施され 木組みもあいまって美しかったです。
途中豪雨になってしまいましたので 納経所で雨宿り。
石柱を見て奥の院があることは分かったのですが 遠そうだったので諦めました。
山寺 登のは辛いですが 大好きです。
山号は由霊山 院号は慈尊院 宗旨は高野山真言宗 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)天平年間(730年 – 749年) 開基は(伝)行基です。
東大寺建立に努力された行基さんは けっこうたくさんの寺院を開基されていますね。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:おそろしや三つの角にもいるならば 心をまろく慈悲を念ぜよ
でした。
由緒については
寺伝によれば 天平年間(730年 – 749年)に聖武天皇の勅願により行基が弥勒浄土を具現化しようと開基したとされる。
その後 弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が来訪した際に十一面観音を刻んで本尊とし さらに 不動明王を刻んで三角形の護摩壇を築き21日間「降伏護摩の秘法」を施したとされる。
この降伏護摩は この地に棲む悪い龍に対し空海が農民のために水を提供するように約束させたもので この護摩壇の跡が境内にある三角の池(みすみのいけ)の中の島として現存し 寺院名の由来とされる。
また 嵯峨天皇が本尊を深く信仰し 寺領300町歩を下賜し 堂塔を建造したとされ 往時は12坊を持ち 七堂伽藍を備えていたという。
天正9年(1581年)の長宗我部元親軍の兵火で本尊以外は焼失したが 寂本の『四国遍礼霊場記(1689年)』には 単層の本堂 弥勒堂 鎮守堂 庫裡が描かれていて復興している。
現在の本堂は嘉永2年(1849年)に再建されたもので二層。
昭和46年には基礎部分の木造をコンクリートに変更し修復した。
とありました。
駐車場からの石段
石柱
天然岩でできています がたがたです
いい具合に苔がついています
石柱
仁王門
鐘楼もありました 鐘楼仁王門?
境内
石碑
薬師堂
内陣
大師堂
内陣
延命地蔵菩薩
手水は 龍でした
巨木
奥の院は遠そうでした
本堂
梁に彫刻
内陣
縁起
三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
四国霊場第65番札所
由霊山 三角寺をお参りしてきました。
伊予最後の霊場で小林一茶も唄を詠んだ桜の名所です。
頂いた御朱印です。
何と書いてあるのでしょうか?(笑い)
72段の階段を登りきると鐘楼門がありました!
本堂に安置されているご本尊は十一面観世音菩薩ですが、60年に一度甲子の年だけに
開帳される秘仏です。
四国八十八カ所65番札所。
四国中央市の旧川之江市街から少し山に入ったところにあります。
ご本尊は十一面観世音。
名前の由来は、境内の三角(みすみ)の池の中の島に建てられた三角形の護摩壇。
札所納経と大師納経を頂きました。
こちら、先週のお参りの記録です。
とうとう遍路巡りも讃岐を出て伊予に突入…したところでしばらく自粛中断します。
もしかしたら霊場も納経所、もしくはお寺自体の閉鎖もあるかもしれません。
寺標
横の階段を登ったところが山門です
山門(鐘門・仁王門)
鐘楼・扁額
手水舎
なかなか精悍な龍です
本堂
大師堂
縁起
三角形の護摩壇があった三角の池に、現在は弁天さまの祠があります
薬師堂
まだ綺麗に咲いていました
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