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さんかくじ|高野山真言宗由霊山(ゆれいざん)

三角寺
愛媛県 伊予三島駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

40台(民営 普通車200円)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所65番

おすすめの投稿

sasaki3
2024年04月09日(火)
519投稿

三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

三角寺の御朱印

三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

三角寺(愛媛県)

三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

三角寺(愛媛県)

三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

三角寺(愛媛県)

三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

三角寺(愛媛県)

三角寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)

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to_sun
2023年06月06日(火)
189投稿

【由霊山(ゆれいざん)慈尊院(じそんいん)三角寺(さんかくじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
 三角寺は、第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開いたと伝えられる。その後、815(弘仁6)年に弘法大師(774-835)が訪れ、本尊の十一面観音像を彫って安置した。さらに、大師は不動明王像も彫り、三角形の護摩壇を築いて21日間の降伏(ごうふく)護摩の秘法を修法したという。また、嵯峨天皇(在位809-823)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。だが、長宗我部軍の「天正の兵火」により、一部の堂宇を焼失した。現在の本堂が再建されたのは1849(嘉永2)年で、1971(昭和46)年に修復されている。

三角寺の本殿

【65_T.Hamada's view】
 本堂。

三角寺(愛媛県)

【65_三角の池】
 弘法大師が国家安泰と万民福祉を祈念し、降伏護摩の秘法を修得したとされ、その時の護摩壇が三角形であったことが寺名の由来。境内の「三角の池」の中に、護摩壇跡が残っているとされる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

三角寺(愛媛県)

【65_三角の池】

三角寺(愛媛県)

【65_本堂】

三角寺(愛媛県)

【65_本堂】
 立派な彫刻。

三角寺(愛媛県)

【65_大師堂】

三角寺(愛媛県)

【65_鐘楼門・仁王門】
 石段を上がった先に山門(鐘楼門・仁王門)がある。

三角寺(愛媛県)

【65_仁王阿形像】

三角寺の像

【65_仁王吽形像】

三角寺(愛媛県)

【65_龍の手水舎】

三角寺(愛媛県)

【65_薬師堂】
 イボや魚の目の治療にご利益があるという。

三角寺の地蔵

【65_延命地蔵】

三角寺(愛媛県)

【65_仙龍寺本堂(三角寺奥之院)】
 三角寺奥之院の仙龍寺は、三角寺の南東、車で25分ほどの山中にある。本堂の中に入って参拝する。幽玄な佇まい。四国別格二十霊場第十三番札所でもある。

三角寺(愛媛県)

【65_仙龍寺本堂(三角寺奥之院)】
 仙龍寺本堂の廊下。

三角寺(愛媛県)

【65_仙龍寺龍の手水舎(三角寺奥之院)】

三角寺の御朱印
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歴史

江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約360m、平石山の中腹にある静かな境内。
縁起では、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられる。その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。また、嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。
だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、一部の堂宇を焼失した。現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されている。
本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいる。ご祈祷をうけたお守りと腹帯が授けられ、また、「子宝杓子」といって、子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられる。子供を授かった後に、新しい杓子と授かった杓子をもってお礼参りをする。

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三角寺の基本情報

住所愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75
行き方

64【前神寺】より
(自家用車)約1時間 約46km
(徒歩)約13時間 約45km
66【雲辺寺】より
(自家用車)約30分 約23km
(徒歩)約7時間 約20.5km

アクセスを詳しく見る
名称三角寺
読み方さんかくじ
トイレ仁王門の横
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0896-56-3065
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号由霊山(ゆれいざん)
院号慈尊院(じそんいん)
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代天平年間(729〜749)
開山・開基行基菩薩
文化財

木造十一面観世音立像(県指定有形文化財)
伊予遍路道 三角寺奥之院道(国の史跡)

ご由緒

江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約360m、平石山の中腹にある静かな境内。
縁起では、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられる。その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。また、嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。
だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、一部の堂宇を焼失した。現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されている。
本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいる。ご祈祷をうけたお守りと腹帯が授けられ、また、「子宝杓子」といって、子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられる。子供を授かった後に、新しい杓子と授かった杓子をもってお礼参りをする。

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