まえがみじ|真言宗石鈇派|石鈇山(いしづちさん)
前神寺のお参りの記録一覧
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の9寺院目です。
吉祥寺からの移動時間はあまりかかりませんでした。
境内は広く お堂や祠がいくつもあります。
驚いたのは本堂が今まで見たことがないほど大きいことです。
本堂の両サイドにも 名前を知らないのですが 廊下のようなものもあり コの字型になっています。
中央には石敷きの広場があり 儀式で使うと思われる区画(加持祈祷?)があります。
もうすぐタイムアップと思いつつ じっくり見て回りました。
林(森?)の中にあるため 木陰がちょうど涼しく 気持ちの良い風が吹いていました。
今日の最後を 素敵な寺院で締めくくれると思い とても嬉しかったです。
四国霊場 まだ先が長い 素敵な寺院に出会えますように。
山号は石鈇山 院号は金色院 宗旨宗派は真言宗石鈇派 寺格は総本山 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は奈良時代の初期 開基は役小角です。
ご真言とご詠歌は
ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:前は神後(うしろ)は仏(ほとけ)極楽の よろずの罪をくだくいしづち
由緒については
役の行者(役小角)が石鎚山の頂上を目指すもあまりの厳しさで諦めて下山しようとしたとき 斧(鈇)を砥石で磨ぐ老人に出会い 行者が問うと曰く「之は磨いて針にするのだ」と この言葉に行者は挫折してはならない「為せば成る」と自分に言い聞かせ再び頂上に向かい ついには登り着き修行を続けると釈迦如来と阿弥陀如来が衆生の苦しみを救済するため合体し石鈇蔵王権現となって現れたのを感得した。
その後 行者が当地(現在は石鎚神社中宮成就社のある場所)まで下山してきたとき「わが願い成就せり」と云ったといわれる。
そして その尊像を彫って祀ったのが当寺の開基とされている。
後に石仙(しゃくせん)が当地に堂を建て常住舎と云われた。
そして 弟子の寂仙[注釈 2]が山頂への登山道を整備した。
桓武天皇(782年〜805年)が病気を患った時 常住舎で平癒の祈願をし成就したことによって当地に七堂伽藍が建てられ勅願寺とし「金色院前神寺」の称号を下賜され 石仙には菩薩号を賜ったと伝えられる。
さらに空海(弘法大師)が19歳(793年頃)の時に石峯(石鎚山)に跨りてと『三教指帰』に自ら記しているように当山で修行をし 後年 当寺を巡錫している。
また 文徳天皇 高倉天皇 後鳥羽天皇 順徳天皇 後醍醐天皇など多くの歴代天皇の信仰が厚かったことでも知られ 当寺(常住)に1591年伊予の領主となった福島正則が参籠した。
徳川家にも崇敬され1610年豊臣秀頼が神殿を修築 福島正則がその普請奉行となる。
そして 西条藩主・小松藩主も厚く遇した。
なお 当寺は山頂の弥山に存在する石鈇蔵王権現社(現在の石鎚神社奥宮頂上社)の別当寺で 東の遥拝所でもあった。
とありました。
境内案内図
修行大師像
手水
鐘楼
金毘羅大権現
子育地蔵
竜でした
十三仏真言
稲荷大明神
毘沙門天かな
本堂
扁額
大師堂
屋根に狛犬?
それにしてもでかい本堂
薬師堂
不動明王堂
寺務所
かわいいねぇ
前神寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
前神寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
前神寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
前神寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
前神寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
前神寺 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
四国八十八ケ所霊場 第64番札所
山号:石鉄山
宗派:真言宗石鉄派
御本尊:阿弥陀如来
60番札所横峰寺と同じく、霊峰石鎚山の別当寺として信仰を集めたとのこと。(明治時代以前)
神仏分離令により一時廃寺になったことも。現在も修験道の根本道場であり、若かりし弘法大師空海は
2度に渡り入山。虚空蔵求聞持や断食修行を行ったと言われています。
ご本堂前に、きれいに整備された護摩焚き用の
空間が印象に残りました。壮大な護摩焚きの風景が想像できました。
ご本堂
右下 護摩焚き檀
屋根のカーブの美しさ。息を呑みました。😌
大師堂
屋根の羽をひろげた鳥が印象的です。
いただいた御朱印
四国霊場第64番札所
石鎚山前神寺をお参りしてきました。
国定公園石鎚山のふもとにあり日本七霊場のひとつとのこと。
御朱印と一緒に本尊である「阿弥陀如来」のカラーの御影も戴きました。
もちろん有償です。
こじんまりした大師堂から石段を上がってゆくと立派な本堂へ到着です。
大師堂から本堂への参道途中の石段の右にある御滝不動尊!
1円玉を投げ入れてくっつくとご利益があるとか・・・。
【石鈇山(いしづちざん)金色院(こんじきいん)前神寺(まえがみじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗石鈇派
開基:役行者小角
開創は、天武天皇(在位673-686)の時代に修験道の祖・役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が石鎚山で修行を積んだ後、衆生の苦を救済するために釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって現れたのを感得し、尊像を彫って安置し祀ったことに縁起する(場所は石鎚山の山頂近く)。そののち、弘法大師(774-835)も2度石鎚山を巡鍚(じゅんしゃく)し虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)や護摩修行、断食修行などを行ったことが知られている。(虚空蔵求聞持法:「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法)江戸時代には、西条藩主松平家の祈願所となり三つ葉葵の寺紋を下賜(かし)するなど寺運は隆盛を極めたが、明治維新の神仏分離令により寺領を没収され、一時は廃寺を余儀なくされた。現在地に霊場として再興されたのは1889(明治22)年のこと。すぐ西には石鎚神社がある。
【64_T.Hamada's view】
桜の頃の山門前
【64_御滝不動尊(御瀧行者不動尊)】
本堂へ向かう石段脇には滝に打たれる「御滝不動尊」がある。1円玉を投げてくっつくとご利益があると言われている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【64_御滝不動尊(御瀧行者不動尊)】
かつて滝打ち修行が行われていた。
【64_本堂】
神社様式の本堂が境内の奥に鎮座する。
【64_大師堂】
【64_山門】
四国お遍路第64番札所、石鉄山いしづちさん金色院前神寺。真言宗石鉄派総本山。石鉄修験道の根本道場。奈良時代役行者開基。ご本尊は大日如来。
危うくろうそく🕯立てそうになりました。白いカエル🐸。
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