じょうるりじ|真言宗豊山派|医王山(いおうざん)
浄瑠璃寺愛媛県 牛渕団地前駅
7:00~17:00
浄瑠璃寺は和銅元年に僧行基かま開山したと言われてます。
海岸山岩屋寺に向かう道中予想以上に積雪していたので断念しUターンして帰る時に道に迷いたどり着きました(笑)
仏の足跡や輪廻のことが書かれているイラストが面白かった。
1泊2日四国八十八か所巡り。1日目の6寺院目です。
岩屋寺から車で40分ほどで着きました。
松山市内なので このエリアには複数の目的地があって助かります。
と言いつつ もう夕刻でした。
駐車場に車を停めると 歩いてすぐ境内に入れました。
境内は木陰で涼しく感じます。
建物は多くないのですが 石が多いです。
説法石 網かけ石 封じ石 仏足石 仏手花判などなど。
大師堂には だっこ大師とやらがおられ お大師様の誕生日にだっこできるそうです。
御朱印を拝受したあと 説法石でしばらく涼んてしまいました。
山号は醫王山 院号は養珠院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)和銅元年(708年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし
でした。
由緒については
寺伝によれば 大仏開眼を前にした和銅元年(708年)に布教に訪れた行基が堂宇を建立 本尊の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩 十二神将を刻んで安置して開基したという。
その後 大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺を再興したと伝わる。
室町時代末期には当寺に帰依した足利幕府の武将・平岡道倚(みちより)が伽藍を整備した。
正徳5年(1715年)の山火事で焼失し 江戸時代中期の天明5年(1785年)に住職・堯音(ぎょうおん)の尽力により復興した。
とありました。
山門はありませんでした
かっこいい寺号碑(?)
鐘楼
境内は木陰で涼しい
封じ石
9つの災難から救ってくださいます
いぶきの巨木
籾大師
手水
手水に亀とカエル
仏足石
仏手花判(ほとけの指紋)
仏足跡歌とやらの由来
説法石
本堂
きれいですね
内陣
内陣
屋根の木組みがきれい
欄干には彫刻
大師堂
だっこ大師
内陣
納経所
網かけ石
このベンチ よく見かけます 見えますか 四国の型抜き
観音様
【医王山(いおうざん)養珠院(ようじゅいん)浄瑠璃寺(じょうるりじ)】
本尊:薬師如来
宗派:真言宗豊山派
開基:行基菩薩
浄瑠璃寺は、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、708(和銅元)年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立、薬師如来像を彫って本尊としたのがはじまりとされる。寺名は薬師如来がいる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来にちなんでいる。約百年後の807(大同2)年、唐から帰朝した弘法大師(774-835)がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場に定めた。
【46_T.Hamada's view】
本堂
【46_仏足石・仏手石】
樹齢約1,000年のイブキビャクシンの大木や仏足石・仏手石がある。仏足石は釈迦の足跡とされ、健脚・交通安全にご利益があるとされる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【46_仏足石】
【46_本堂】
【46_大師堂】
【46_だっこ大師】
弘法大師の子供のころをかたどった木彫りの大師。だっこするのにちょうどよい重さ。大師堂にいらっしゃいます。
【46_手水舎】
【46_一願弁天堂】
本堂左手奥にある。一つだけ願いを叶えてくれるところから「一願弁天」と親しまれている。
【46_仏手石】
智彗(ちえ)や技能にご利益があるといわれている。
【46_説法石】
お釈迦様が説法・修行されたインド霊鷲山(りょうじゅせん)の石が埋め込まれている。
【46_イブキビャクシン】
樹高約20mのイブキビャクシンは弘法大師が加持したものといわれ松山市の天然記念物に指定されている。
【46_境内へ上がる石段】
浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。
約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。室町時代の末期に足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依した。
江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失したが、70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力した。堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興している。また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、苦難の末に8つの橋を架けている。
境内の樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシン(市天然記念物)が信仰を得ている。
住所 | 愛媛県松山市浄瑠璃町282 |
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行き方 | 伊予鉄バス 浄瑠璃寺前バス停
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名称 | 浄瑠璃寺 |
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読み方 | じょうるりじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 089-963-0279 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 医王山(いおうざん) |
院号 | 養珠院(ようじゅいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 和銅元年(708) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
文化財 | イブキビャクシン 3本(松山市指定天然記念物) |
ご由緒 | 浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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