御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
大宝寺ではいただけません
広告

だいほうじ|真言宗豊山派菅生山(すごうざん)

大宝寺
愛媛県 見奈良駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境外駐車場 普通20台、大型3台 
境内駐車場 普通のみ10台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第44番

おすすめの投稿

to_sun
2023年05月28日(日)
189投稿

【菅生山(すごうざん)大覚院(だいかくいん)大寶寺(だいほうじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:明神右京・隼人
 大寶寺の縁起は大和朝廷時代と古く、百済から渡来した僧が、十一面観音像をこの山中に安置したのがはじまりで、飛鳥時代になって701(大宝元)年、安芸(広島)からきた明神右京・隼人という兄弟の狩人が、十一面観音像を見つけ、庵に祀った際、ときの第42代 文武天皇(在位697-707)の勅命により寺院が建立され、元号にちなんで「大寶寺」と名付けられた。弘法大師(774-835)がこの地を訪れたのは、822(弘仁13)年で、密教を修法して、四国霊場に定め、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。
 その後は、天正の兵火をはじめ全焼の憂き目に何度も遭いながら、時の藩主や人々の寄進で再建されている。

大宝寺(愛媛県)

【44_T.Hamada's view】
 本堂

大宝寺(愛媛県)

【44_大わらじ】
 お遍路もこのお寺で丁度半分。中間のヤマ場となるため、山門には88ヶ所最大級のおおわらじが奉納されている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

大宝寺の建物その他

【44_大わらじ】

大宝寺の本殿

【44_本堂】

大宝寺の建物その他

【44_大師堂】

大宝寺(愛媛県)

【44_仁王門】

大宝寺の像

【44_仁王阿形像】

大宝寺(愛媛県)

【44_仁王吽形像】

大宝寺(愛媛県)

【44_龍の手水舎】

大宝寺(愛媛県)

【44_掘出観音堂】
 1934(昭和9)年に大寶寺の山中から掘り出された金銅製の観音像をお祀りしている。身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる有り難い仏様といわれ、信仰されている。

大宝寺(愛媛県)

【44_十一面観世音菩薩】

大宝寺(愛媛県)

【44_子宝地蔵】

大宝寺の御朱印
もっと読む
投稿をもっと見る(17件)

大宝寺の基本情報

住所愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生1173
行き方

ジェイアール四国バス 久万高原線「松山駅」 - 「久万中学校前」下車 (1.2km)
43【明石寺】より
(自家用車)約2時間 約78km
(徒歩)約20時間 約70km
45【岩屋寺】より
(自家用車)約20分 約13km
(徒歩)約2時間30分 約9km

アクセスを詳しく見る
名称大宝寺
読み方だいほうじ
通称中札所
参拝時間

7:00~17:00

トイレ境内駐車場にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0892-21-0044
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号菅生山(すごうざん)
院号大覚院(だいかくいん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代大宝元年(701)
開山・開基明神右京・隼人
文化財

三十三燈台(県指定有形文化財)
菅生山(県指定名勝)
金剛力士像、三十番神像、芭蕉塚、掘り出し観音、宝篋印塔(久万高原町指定有形文化財)
ヒノキ、大杉、カエデの群生(久万高原町指定天然記念物)

ご由緒

四十三番明石寺からの道のりは約80㎞、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。四国山地に囲まれた標高579mに位置し、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂う。
縁起は大和朝廷の時代まで遡る。百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していた。飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀った。ときの文武天皇(在位697〜707)はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建された。弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。
仁平2年(1152)、全山を焼失。だが、直後の保元年間(1156〜59)に後白河天皇(在位1155〜58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺とした。このときに「菅生山」の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどであった。
その後「天正の兵火」で再び焼失、松山藩主の寄進で復興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなったが、さらに明治7年には3度目の全焼、火災との苦闘を宿命にした。

体験御朱印宿坊札所・七福神巡り

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ