さいりんじ|真言宗豊山派|清滝山(せいりゅうざん)
西林寺のお参りの記録一覧
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の1寺院目です。
道後温泉で体を癒すことができ 幸せ気分の2日目です。
ホテルから15分ほど車を走らせるだけで到着。松山市には目的地が多くあります。
街道からすぐの場所で 町中のお寺というイメージです。
駐車場からすぐの仁王門をくぐると 境内を囲むように建物が立ち並んでいます。
どれも修復・復元されたのか やや新しい感じがしました。
大師堂横に小さな池があり 蓮が咲いていました。これも古代蓮なのでしょうか。
境内の庭と庫裏の庭は きれいに剪定された松が美しいお庭でした。
御朱印を拝受する際 大奥様がいろいろと話しかけてくださいました。
(この朝はセミの鳴き声がとても大きいとか・・・)
山号は清滝山 院号は安養院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は十一面観世音菩薩
創建年は(伝)天平13年(741年) 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:弥陀仏(みだぶつ)の世界を尋ね行きたくば 西の林の寺に詣(まい)れよ
でした。
由緒については
寺伝によれば 現在地より北東約3 kmの小野播磨塚の辺りの「徳威の里」に 聖武天皇の勅願を受け 天平13年(741年)に行基が伊予国国司越智宿禰玉純と共に一宮別当として堂宇を建立 本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。
大同2年(807年)に空海(弘法大師)が巡錫の折 今の場所に寺を移されたと云われていて 日照りに苦しむ里人のため 奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたとも云われている。
とありました。
駐車場にある境内案内図
仁王門
正岡子規の句碑
石柱
木組みが美しい
手水
すっきり美しい庭
鐘楼
水子地蔵
本堂
十一面観世音の扁額
反射して見えない
大師堂
内陣
蓮が咲いていました
古代蓮かな?
阿弥陀堂
遍照殿
倉裏
由緒書
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
48番 西林寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
48番 西林寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
48番 西林寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
48番 西林寺
四国八十八ケ所霊場 第48番札所
山号:清滝山
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
福授地蔵さまにお会いできます。お顔立ちのなんとお優しいこと。😌人を幸せにする微笑み。私はまだまだいただく側。🤭いつかは・・・。
ご本堂
大師堂
福授地蔵さま
池のコイたちもふくよかです。🤭
いただいた御朱印
【清滝山(せいりゅうざん)安養院(あんよういん)西林寺(さいりんじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:行基菩薩
西林寺は、741(天平(てんぴょう)13)年、行基菩薩が第45代 聖武天皇(在位724-749)の勅願により伊予に入り、国司、越智玉純(玉澄)公とともに一宮別当寺として堂宇を建立したのがはじまりという。当時は現在の松山市小野播磨塚(現西林寺の北東2-3km)にあり、本尊に十一面観音菩薩像を彫って安置した。807(大同2)年、弘法大師(774-835)がこの地を訪れた際、国司の越智実勝公と相談して寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
また、大師は、旱魃で苦しむ村人を救うために錫杖(しゃくじょう)を地面に突き、清水の水脈を見つけたという。この泉は「杖(じょう)の淵」と呼ばれ、寺から300m南西の高井の地に今も残っている。
【48_T.Hamada's view】
【48_一願地蔵】
納経所前には池があり、お地蔵さまが鎮座。「一願地蔵」と呼ばれ、一つだけ願い事を叶えてくれると言われている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【48_福授地蔵(一願地蔵)】
願いを一つ叶えてくれるという。
【48_本堂】
【48_大師堂】
【48_仁王門】
境内は周りより一段低い場所にあり、邪悪な者が踏み入れると無間(むけん)地獄に落ちると考えられている。
【48_仁王門前の橋】
橋を渡り、数段下りて参道に至る。
【48_龍の手水舎】
【48_正岡子規の句碑】
「秋風や 高井のていれぎ三津の鯛」「ていれぎ」は清流に自生する草で、クレソンやセリににて、ピリッと辛いところが刺身のツマに適している。子規直筆。
【48_土参り大師】
厄除けのご利益がある。
【48_杖の淵(西林寺奥之院)】
「全国名水百選(1985(昭和60)年選定)」に選ばれている。
両親を誘い、松山の三津厳島神社⛩、太山寺、円明寺に続き48番西林寺参拝。
名水百選に選ばれる大師ゆかりの水脈があります。
晴れてたのが、予報通りの雨となりました☔️
西林寺から少し離れた公園内に奥の院がありました。
杖の淵の公園内
澄み切った湧水に癒されます
湧水がありました。
寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
27
2