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さいりんじ|真言宗豊山派清滝山(せいりゅうざん)

西林寺
愛媛県 鷹ノ子駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

仁王門前 20台、大型2台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第48番
伊予十三仏霊場第8番

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月14日(水)3554投稿

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の1寺院目です。
道後温泉で体を癒すことができ 幸せ気分の2日目です。
ホテルから15分ほど車を走らせるだけで到着。松山市には目的地が多くあります。
街道からすぐの場所で 町中のお寺というイメージです。
駐車場からすぐの仁王門をくぐると 境内を囲むように建物が立ち並んでいます。
どれも修復・復元されたのか やや新しい感じがしました。
大師堂横に小さな池があり 蓮が咲いていました。これも古代蓮なのでしょうか。
境内の庭と庫裏の庭は きれいに剪定された松が美しいお庭でした。
御朱印を拝受する際 大奥様がいろいろと話しかけてくださいました。
(この朝はセミの鳴き声がとても大きいとか・・・)

山号は清滝山 院号は安養院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は十一面観世音菩薩 
創建年は(伝)天平13年(741年) 開基は(伝)行基です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:弥陀仏(みだぶつ)の世界を尋ね行きたくば 西の林の寺に詣(まい)れよ
でした。

由緒については
寺伝によれば 現在地より北東約3 kmの小野播磨塚の辺りの「徳威の里」に 聖武天皇の勅願を受け 天平13年(741年)に行基が伊予国国司越智宿禰玉純と共に一宮別当として堂宇を建立 本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。
大同2年(807年)に空海(弘法大師)が巡錫の折 今の場所に寺を移されたと云われていて 日照りに苦しむ里人のため 奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたとも云われている。
とありました。

西林寺(愛媛県)

駐車場にある境内案内図

西林寺(愛媛県)

仁王門

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歴史

寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。現大師堂は平成20年(2008年)に再建された。

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西林寺の情報

住所愛媛県松山市高井町1007
行き方

鷹ノ子駅 下車(0.8km)
47【八坂寺】より
(自家用車)約8分 約4km
(徒歩)約1時間 約4.5km
49【浄土寺】より
(自家用車)約10分 約3km
(徒歩)約50分 約3km

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西林寺の基本情報

名称西林寺
読み方さいりんじ
参拝時間

7:00~17:00

トイレ仁王門の横
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号089-975-0319

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

伊予十三仏霊場

第8番

ご本尊・ご祭神:聖観音菩薩

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号清滝山(せいりゅうざん)
院号安養院(あんよういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天平13年(741)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。
このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。現大師堂は平成20年(2008年)に再建された。

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