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まつやまじんじゃ

松山神社
愛媛県 道後温泉駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
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あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

表参道入口にあり

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神祇伯
神祇伯
2025年07月27日(日) 21時53分12秒
1693投稿

松山市の北側の峠に建つ神社で、社名にはありませんが東照宮の一つです。菅原道真公が左遷によって太宰府に向かう途中に温泉に入りに立ち寄ったとされる山崎の丘に地元住民が道真公を祀ったのが始まりとされ、その後松山城主が伊佐爾波神社境内に祀っていた東照宮を遷座して「松山神社」に改称しました。

松山神社(愛媛県)

《表参道》
暑い…影があるけど気温高い…

松山神社(愛媛県)

《由緒書き》

松山神社(愛媛県)

《参道の燈籠》
家康公400年祭記念として氏子地域の旅館や会社から奉納されています。

松山神社(愛媛県)

《鳥居》
貫が柱より横に飛び出していない「中山鳥居」と同じ様式です。

松山神社(愛媛県)

《社務所》

松山神社(愛媛県)

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

松山神社(愛媛県)

《参道からの景色》
松山市の発展を見てきたのでしょうね…

松山神社(愛媛県)

《神門》
県の重要文化財に指定されています。宮司さん曰く「国指定」の格上げを目指しているそうな。

松山神社(愛媛県)

《祭りの広告》

松山神社(愛媛県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
天満宮に遷座した東照宮ですが、この2社が意外な関係で結び付きます。松山城主は三代目の城主から松平定行公になりますが、この方は母方が松平家(徳川家の父方)と繋がり、父方が道真公の子孫とされています。両方の血筋を持った城主がそれぞれの祖神を祀る神社が合祀されているのです。
藩主の松平家は明治には道真公の子孫が名乗っていた久松氏に戻し、松山神社建立の際の当主だった定武さんは、その財を投じて松山城を土地ごと買うことで廃城を守ったそうです。これは古くから温泉街として歴史がありつつも、今後その一辺倒だけで観光客を招くことができないだろうし、入浴の前後で巡る場所が必要であろうと予測してのことだったと宮司さんが仰っていました。

松山神社(愛媛県)

《本殿》
日光東照宮に倣って権現造になっています。幣殿の両側に扉がついており理想的な権現造だと感じました。

松山神社(愛媛県)

《筆塚》
天満宮である名残ですね。ここと授与所の上だけ紙垂が吉田流じゃないんですよね。由来聞きそびれた…

松山神社(愛媛県)

《末社と力石》

松山神社(愛媛県)

《授与所》
御朱印をいただき、神社についての説明をしていただきました。30分ほど話が盛り上がってしまい、実は今松山神社から松山東照宮への改称を計画しているそうです。正直東照宮を名称とするほどの歴史はしっかり持っていると思っているので、心より応援しております。

松山神社(愛媛県)

《御朱印帳》

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歴史

元和4年(1618年)松山城主加藤嘉明が湯築八幡宮の境内に小祠を建て、徳川家康公の神霊を祭祀し、その後、明和2年(1765年)に松山藩主松平定静が祝谷の田高の丘(現在地)に社殿を造営奉遷し「東照宮」と称え、城下の鬼門鎮護の神として崇敬した。
また、延喜元年(901年)菅原道真が筑紫に左遷されていく途中、祝谷山崎の丘に立ち寄りて温泉に浴したという故事により、里人が太宰府天満宮より旧跡の山崎の丘に神霊を勧請し「天満神社」として崇敬していた。
明治43年12月に東照宮に天満神社を合祀して、「松山神社」と改称した。現在の社殿は元治2年(1865年)に造営されたものであり、典型的な権現造である。

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松山神社(愛媛県)
《御朱印帳》
松山神社(愛媛県)
《授与所》 御朱印をいただき、神社についての説明をしていただきました。30分ほど話が盛り上がってしまい、実は今松山神社から松山東照宮への改称を計画しているそうです。正直東照宮を名称とするほどの歴史はしっかり持っていると思っているので、心より応援しております。
松山神社(愛媛県)
《末社と力石》
松山神社(愛媛県)
《筆塚》 天満宮である名残ですね。ここと授与所の上だけ紙垂が吉田流じゃないんですよね。由来聞きそびれた…
松山神社(愛媛県)
《本殿》 日光東照宮に倣って権現造になっています。幣殿の両側に扉がついており理想的な権現造だと感じました。
松山神社(愛媛県)
《拝殿》🙏 👁チェックポイント‼️ 天満宮に遷座した東照宮ですが、この2社が意外な関係で結び付きます。松山城主は三代目の城主から松平定行公になりますが、この方は母方が松平家(徳川家の父方)と繋がり、父方が道真公の子孫とされています。両方の血筋を持った城主がそれぞれの祖神を祀る神社が合祀されているのです。 藩主の松平家は明治には道真公の子孫が名乗っていた久松氏に戻し、松山神社建立の際の当主だった定武さんは、その財を投じて松山城を土地ごと買うことで廃城を守ったそうです。これは古くから温泉街として歴史がありつつも、今後その一辺倒だけで観光客を招くことができないだろうし、入浴の前後で巡る場所が必要であろうと予測してのことだったと宮司さんが仰っていました。
松山神社(愛媛県)
《祭りの広告》
松山神社(愛媛県)
《神門》 県の重要文化財に指定されています。宮司さん曰く「国指定」の格上げを目指しているそうな。
松山神社(愛媛県)
《参道からの景色》 松山市の発展を見てきたのでしょうね…
松山神社(愛媛県)
《手水舎》 水は流れています。洗ひつるここも…(略)
松山神社(愛媛県)
《社務所》
松山神社(愛媛県)
《鳥居》 貫が柱より横に飛び出していない「中山鳥居」と同じ様式です。
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松山神社の基本情報

住所

愛媛県松山市祝谷東町640

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

松山神社

読み方

まつやまじんじゃ

通称

松山東照宮

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

なし

トイレ社務所横にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号089-931-4285
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
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詳細情報

ご祭神徳川家康公
菅原道真公
ご神体

不詳

創建時代

明和二年(1765年)3月

創始者

加藤嘉明

本殿

権現造

文化財

社殿・神門(市指定文化財)

ご由緒

元和4年(1618年)松山城主加藤嘉明が湯築八幡宮の境内に小祠を建て、徳川家康公の神霊を祭祀し、その後、明和2年(1765年)に松山藩主松平定静が祝谷の田高の丘(現在地)に社殿を造営奉遷し「東照宮」と称え、城下の鬼門鎮護の神として崇敬した。
また、延喜元年(901年)菅原道真が筑紫に左遷されていく途中、祝谷山崎の丘に立ち寄りて温泉に浴したという故事により、里人が太宰府天満宮より旧跡の山崎の丘に神霊を勧請し「天満神社」として崇敬していた。
明治43年12月に東照宮に天満神社を合祀して、「松山神社」と改称した。現在の社殿は元治2年(1865年)に造営されたものであり、典型的な権現造である。

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