たいさんじ|真言宗智山派|龍雲山(りゅううんざん)
太山寺のお参りの記録一覧
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の5寺院目です。
石手寺から松山城の横を通り抜けて 松山市の反対側 海側の地域にやってきました。
海のそばと思っていたのですが きっちり山寺でした。
駐車場が仁王門の奥にあったので 少し戻って仁王門を撮りました。
看板があって 本堂まで350mと。見上げると坂道。やられた~。
暑い中 とぼとぼと坂道を歩いていると 本堂手前に石段。きつ~と思い回りを見ると。
少し涼しそうな林と手水。これがどうやら湧き水のようで とっても冷たい。
ひやぁ 頭からかぶりたい気分になりました。誰もいなかったらそうしていたかも。
少し休憩してから 本堂のある上のエリアへ。
またしても仁王門があります。これは3の門と呼ばれているそうで 仁王門が2つあるだけでなく 総門もあるようです。
うってかわって あっちっちの境内 建物が複数あるのでしっかり見て歩きました。
さすがに国宝の本堂と大師堂は立派で 内陣も歴史を感じさせる古さを漂わせています。
こういう昔の空気がそのままあるような空間 大好きなんです。
再建されてから100年以上たつ建物ですから 私たちの人生より長くここに建っているわけですから。
数えきれないほどの巡礼者がここを訪れ 拝み 読経していく。
それをずっと見てきたわけです。そういうわけで 古刹は大好きです。
暑さに負けず 思ったより長い時間こちらにいました。
さて御朱印と思い また坂道を下っていきました。
こちらはとても新しい建物でした。まぁそんなもんですね。
山号は瀧雲山 院号は護持院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)用明天皇2年(587年) 開基は(伝)真野長者です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし
でした。
由緒については
太山寺の草創については 以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。
飛鳥時代の用明2年(586年) 豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中 高浜の沖で大嵐に遭遇した。
長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。
長者は感謝し一宇建立の大願を起する。
早速 豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え 1日で高浜の港に着き夜を徹して 一夜にして建立したということである。
その後 天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され 孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。
なお 現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。
また 本堂の奥中央の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。
現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建され 近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。
とありました。
石柱
仁王門
鎌倉時代のものでした
扁額
本堂まで350m?
坂道だった
本堂に上がる手前に
この手水 めちゃ冷たくて気持ちいい 頭からかぶりたかった
裏手の林にいろいろ
本堂に続く石段
再び仁王門
本堂 でかい
内陣
大師堂
内陣
厄除大師堂
香炉
鐘楼
仏足石
もどってきて納経所へ
山門
納経所
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
46番 太山寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
46番 太山寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
46番 太山寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
46番 太山寺
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
46番 太山寺
四国八十八ケ所霊場 第52番札所
山号:瀧雲山
宗派:真言宗智山派
御本尊:十一面観世音菩薩
ゆっくりとした、でも急勾配の坂道が続きます。
一歩一歩、踏みしめて歩きます。
ご本堂
県下最大の古い木造建築物です。国宝。
息を呑む美しさです。
ご本堂
角度をかえて。
大師堂
いただいた御朱印
愛媛県松山市の四国八十八ヶ所第52番太山寺さんへお詣りしました。
約2年ぶりくらいの参拝です。
太陽がギラギラ照りつける中でしたが、むしろ一人静かにお詣り出来ました。
国宝の本堂をお詣りし、大師堂もお詣りしたのち、太山寺の裏山の頂上経ヶ森の太山寺奥之院にも足を伸ばしました。途中けもの道みたいな所が続きますが、たどり着いた時の達成感はひとしおです。
太山寺の納経
太山寺奥之院の納経
国宝の本堂
国重要文化財仁王門
大師堂
経ヶ森までの山道
経ヶ森十一面観音さま側に鎮座される不動明王さま
経ヶ森の十一面観音さま01
経ヶ森の十一面観音さま02
【瀧雲山(りゅううんざん)護持院(ごじいん)太山寺(たいさんじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗智山派
開基:真野長者
太山寺の起源は、587(用明2)年、豊後(大分)の富豪・真野(まの)長者が船で嵐に遭った際、観音様に祈願したところ高浜の岸に無事たどり着き、その恩に報いるため一夜にして本堂を建立したという「一夜建立の御堂」という言い伝えにある。のちに行基菩薩が本尊を彫り、その胎内には真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像が納められたという。弘法大師(774-835)は晩年(824-834)に護摩供の修法のためここを訪れ、法相宗から真言宗に改めている。
【52_T.Hamada's view】
聖徳大師堂の傍から諸堂を見る。防災設備工事中。
【52_聖徳太子堂】
太山寺は道後温泉に訪れたとされる聖徳太子と縁がある。そのため境内には法隆寺の夢殿に似た「聖徳太子堂」が建つ。学業成就のご利益があると言われる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【52_聖徳大師堂】
合格祈願で受験生に人気。
【52_四天王門から見る本堂】
現在の本堂は真野長者から3回目で鎌倉時代の建立。本瓦葺きの入母屋造りで真言密教では最大規模を誇り国宝となっている。
【52_大師堂】
【52_仁王門】
車道傍らにそびえる仁王門。
【52_仁王阿形像】
【52_仁王吽形像】
【52_四天王門】
石段の上の山門(四天王門)をくぐると正面が本堂。
【52_聖徳大師座像】
聖徳太子堂には法隆寺の夢殿にあるのと同じ美しい姿の聖徳太子像が祀られている。
【52_鐘楼堂】
【52_鐘楼堂の障壁画】
地獄絵と極楽絵が描かれている。
【52_身代わり観音】
当山の山頂奥之院に建っていた十一面観音像。2001(平成13)年3月24日、松山沖でマグニチュード6.7の芸予大地震に見舞われた際、震源地に向かって建っていたこの像が落下、身代わりとなって不思議に被害が少なかった。
【52_経ヶ森の観音像(太山寺奥之院)】
経ヶ森(標高203m)に再建されたブロンズの十一面観世音菩薩立像。
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