たいさんじ
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太山寺ではいただけません
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太山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月16日(金)
参拝:2024年7月吉日
1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の5寺院目です。
石手寺から松山城の横を通り抜けて 松山市の反対側 海側の地域にやってきました。
海のそばと思っていたのですが きっちり山寺でした。
駐車場が仁王門の奥にあったので 少し戻って仁王門を撮りました。
看板があって 本堂まで350mと。見上げると坂道。やられた~。
暑い中 とぼとぼと坂道を歩いていると 本堂手前に石段。きつ~と思い回りを見ると。
少し涼しそうな林と手水。これがどうやら湧き水のようで とっても冷たい。
ひやぁ 頭からかぶりたい気分になりました。誰もいなかったらそうしていたかも。
少し休憩してから 本堂のある上のエリアへ。
またしても仁王門があります。これは3の門と呼ばれているそうで 仁王門が2つあるだけでなく 総門もあるようです。
うってかわって あっちっちの境内 建物が複数あるのでしっかり見て歩きました。
さすがに国宝の本堂と大師堂は立派で 内陣も歴史を感じさせる古さを漂わせています。
こういう昔の空気がそのままあるような空間 大好きなんです。
再建されてから100年以上たつ建物ですから 私たちの人生より長くここに建っているわけですから。
数えきれないほどの巡礼者がここを訪れ 拝み 読経していく。
それをずっと見てきたわけです。そういうわけで 古刹は大好きです。
暑さに負けず 思ったより長い時間こちらにいました。
さて御朱印と思い また坂道を下っていきました。
こちらはとても新しい建物でした。まぁそんなもんですね。
山号は瀧雲山 院号は護持院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)用明天皇2年(587年) 開基は(伝)真野長者です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし
でした。
由緒については
太山寺の草創については 以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。
飛鳥時代の用明2年(586年) 豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中 高浜の沖で大嵐に遭遇した。
長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。
長者は感謝し一宇建立の大願を起する。
早速 豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え 1日で高浜の港に着き夜を徹して 一夜にして建立したということである。
その後 天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され 孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。
なお 現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。
また 本堂の奥中央の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。
現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建され 近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。
とありました。
石手寺から松山城の横を通り抜けて 松山市の反対側 海側の地域にやってきました。
海のそばと思っていたのですが きっちり山寺でした。
駐車場が仁王門の奥にあったので 少し戻って仁王門を撮りました。
看板があって 本堂まで350mと。見上げると坂道。やられた~。
暑い中 とぼとぼと坂道を歩いていると 本堂手前に石段。きつ~と思い回りを見ると。
少し涼しそうな林と手水。これがどうやら湧き水のようで とっても冷たい。
ひやぁ 頭からかぶりたい気分になりました。誰もいなかったらそうしていたかも。
少し休憩してから 本堂のある上のエリアへ。
またしても仁王門があります。これは3の門と呼ばれているそうで 仁王門が2つあるだけでなく 総門もあるようです。
うってかわって あっちっちの境内 建物が複数あるのでしっかり見て歩きました。
さすがに国宝の本堂と大師堂は立派で 内陣も歴史を感じさせる古さを漂わせています。
こういう昔の空気がそのままあるような空間 大好きなんです。
再建されてから100年以上たつ建物ですから 私たちの人生より長くここに建っているわけですから。
数えきれないほどの巡礼者がここを訪れ 拝み 読経していく。
それをずっと見てきたわけです。そういうわけで 古刹は大好きです。
暑さに負けず 思ったより長い時間こちらにいました。
さて御朱印と思い また坂道を下っていきました。
こちらはとても新しい建物でした。まぁそんなもんですね。
山号は瀧雲山 院号は護持院 宗旨宗派は新義真言宗智山派 ご本尊は十一面観世音菩薩 創建年は(伝)用明天皇2年(587年) 開基は(伝)真野長者です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし
でした。
由緒については
太山寺の草創については 以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。
飛鳥時代の用明2年(586年) 豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中 高浜の沖で大嵐に遭遇した。
長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。
その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。
長者は感謝し一宇建立の大願を起する。
早速 豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え 1日で高浜の港に着き夜を徹して 一夜にして建立したということである。
その後 天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され 孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。
なお 現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。
また 本堂の奥中央の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。
現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建され 近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。
とありました。
石柱
仁王門
鎌倉時代のものでした
扁額
本堂まで350m?
坂道だった
本堂に上がる手前に
この手水 めちゃ冷たくて気持ちいい 頭からかぶりたかった
裏手の林にいろいろ
本堂に続く石段
再び仁王門
本堂 でかい
内陣
大師堂
内陣
厄除大師堂
香炉
鐘楼
仏足石
もどってきて納経所へ
山門
納経所
すてき
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くるくるきよせん2060投稿
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