たまさきじんじゃ
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玉崎神社の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ||
参拝時間 | 電話:8:00~16:00 | ||
電話番号 | 0479-57-2278 |
最新の御朱印・御朱印帳の投稿

房総三國3社目。
神社横にある駐車場に車を停めて参拝しました。
隣に幼稚園があり、珍しい…のかな?何だかいいなぁと思いました(^^)
中は広くはないですが、綺麗で心地よい空間でした。
御朱印はお賽銭の所に書き置きがありました。

賽銭箱横に書置きあり、300円奉納して頂きました。日付けはセルフです。
下総の二ノ宮なんですね。清楚な建物です。
海沿いの通りから1本内陸に入った商店街に面しています。
節分ではお菓子を撒くようですね。楽しそう。
参道の左奥には池も有ります。
年末年始が忙しくて、久しぶりに御朱印巡りを再開しました。
拝殿の彫刻が立体感が素晴らしいと思います。
社務所は閉まっていました。
玉崎の姫龍
二の鳥居の横に専用駐車場有ります

下総國二之宮 玉崎神社
御祭神・玉依毘売命、
配祀 日本武尊
ご由緒
御祭神
玉﨑神社の御祭神
玉﨑神社は、景行天皇十二年の御創祀と伝えられている。
天皇の皇子、日本武尊が東夷征討の砌、相模より上総にお渡りになろうとして海難に遭われた際、御后弟橘姫命(オキサキオトタチバナヒメノミコト)が「これは海神の御心に違いない」といって入水されたことで、無事、上総の国につくことができ、更に、海路葦の浦より下総玉の浦にお渡りになられた。そこで尊はその霊異を畏まれ、海上平安・夷賊鎮定のために玉の浦の東端「玉ケ崎」に海神玉依毘売命の神霊を斎き奉るによる。
後世、「玉ケ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して、竜王の鎮まり坐す崎と言うようになったものである。中世には下総國二之宮・玉の浦総社と称され、武門武将の崇敬厚く、平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、それぞれ祈願や奉賽のために奉幣や社殿の造営にかかわられた。しかし、竜王岬の欠損がはなはだしく、加えて、天文2年に兵火にかかって社殿は烏有に帰したので、現今の地に御遷座申し上げた。
江戸時代に入って、上総國一宮(玉前神社)とともに九十九里浜を鎮護する神社として広く崇められ、佐倉藩主堀田氏・久留里藩主黒田氏等武人の崇敬はもとより、平田篤胤・平田銕胤・大国隆正等の文人が参詣している。この頃の飯岡は、九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、相模・三河・紀伊・伊予・阿波・和泉・安芸等の国々よりの移住者も多く、天保水滸伝に名高い飯岡助五郎もこの地に渡って社領地に住み、当神社の潮祭には一党を引き連れ参拝し、奉納角力を執行した。近年には、画家竹久夢二等も参詣し、「飯岡の明神様」として御神威赫々たるものがある。
手水舎
御神木
拝殿
本殿
玉崎神社の御朱印・御朱印帳の写真一覧(15枚)
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