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つかざきしんめいしゃ

塚崎神明社の御由緒・歴史
千葉県 逆井駅

ご祭神《主》天照皇大神・誉田別命・武甕槌命
《境内社》大杉神社・子ノ神社・愛宕神社・子安社・猿田彦社・白幡権現・大六天×2・弁財天×2・疱疹神・津嶋牛頭天神・金毘羅大権現・大黒天
創建時代嘉元~徳治年間(1303~1308年) 平安時代創建説もあり
創始者不詳
ご由緒

旧沼南町、現在の柏市塚崎地区の鎮守です。
古くは下総国南相馬郡(手賀・風早・土・鎌ヶ谷西部)四カ村十七部落の総鎮守でした。小高い山の上に鎮座し社殿は伊勢神宮の方角(南南西)に向かい、緩やかで長い裏参道は塚崎地区に向かっています。広濶な境内、古雅な社殿や石垣の佇まい昼なお暗い石段や古鳥居の風格など、森厳幽邃な境趣は周辺神域の白眉とうたわれています。
創建については古記録がなく明らかではありませんが古く南北朝時代の【神凰鈔】には「相馬御厨、大神宮御領、蓋謂此也、祠官守氏、社領十石」と、記載があります。江戸時代の【寺社分限】にも「塚崎神明ノ社、祭田十石ト。凡御厨地、必ズ皇大神ヲ祀リ、称シテ神明ト曰フ」また【下総国旧自考】にも「塚崎明神、土人称伊勢明神」と、あるなど伊勢神宮の相馬御厨と当社との関係が極めて密接であったことが分かります。平安時代には伊勢神宮領として何度も寄進されていることから、当時、既に当社が相馬御厨の重要な聖地として存在していたことが推察されます。また昭和十年(1935)に県の天然記念物に指定された大榊は当時の県の鑑定で、樹齢を約1300年とされたことも当社の創建の古さを物語っています。※現在、主幹は枯死し若木が育成中です。
時代は下って天正十九年(1591)十一月、関東へ入部した徳川家康から社領十石の朱印を受けています。さらに現存する本殿三社が江戸時代中期の享保十八年(1733)に再建され、宝暦三年(1753)には表参道の石段が隣接する藤心村の氏子によって奉納されました。同七年(1787)に石段の下に弁財天が祀られ、表参道の石段の上部には石造りの鳥居が建てられるなど境内は著しく整備されました。この石鳥居は幕府領であった相馬郡四十数カ村の領主、本多伯耆守正珍の奉納です。幕末の天保五年(1834)に近隣諸村の氏子、崇敬者によって拝殿前に石垣が奉納され神域の威容を増しました。
しかし明治四年(1871)当社は官地とされ国に取り上げられてしまいました。その間、同八年(1875)に拝殿が再建されましたが、民有地に復したのは同三十四年(1901)でした。これを機に境内が再び整備され翌三十五年(1902)に神楽殿が再建され、同三十九年(1906)には風早村社の指定を受けました。さらに同四十一年に塚崎地区の子ノ神社、浅間、厳島、面足、白幡の各神社を境内に合祀し、記念碑が建立されています。
その後、昭和三十二年(1957)従来、茅葺きであった本殿三社、拝殿、神楽殿を鎧型の鉄板で完全に覆う改修が行われ、その記念として一万本の植樹がなされました。同五十二年に町民の森(現在は沼南の森)として境内の一部が住民に開放されました。平成十七年に境内の篭り堂の再建、同二十年には石段の改修工事、同二十三年には駐車場の整備が行われました。
そして同二十五年、拝殿の改築、幣殿と参集殿の増築工事着工。拝殿は既存の部材を極力残しながら屋根が神明造りになりました。参集殿は各種御祈祷を受けられる方の待合室です。平成二十七年春、御神徳を得て厳しく美しく竣工いたしました。

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