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やつるぎはちまんじんじゃ

八剱八幡神社
千葉県 木更津駅

御朱印について御朱印
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御朱印帳
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パーキング
駐車場
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あり

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yasumi
yasumi
2025年02月19日(水) 20時51分25秒
939投稿

八剱八幡神社参拝⛩️ 千葉県房総巡り
千葉県最後は八剱八幡神社へ上がらせていただきました。
千葉県の中西部にあって神奈川県とを海底で結ぶ「東京湾アクラライン」の片方の出入り口があります木更津市(きさらづし)に「八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)」はあります。
土曜日だからか、境内でマルシェ?色々なお店があり、沢山の人で賑わってました^_^

八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)

レイライン ー御来光の道ー
玉前神社 八劔八幡神社 富士山 千葉県上総国一宮にある「玉前神社」から、島根県にある八百万の神が集う「出雲大社」へ春分と秋分の日、太平洋から昇る陽が一直線に貫く光の道があります。
世界各地にも聖地を結ぶ同様の光の道があり、「レイライン」といわれます。
日本で最も有名なレイライン上には富士山頂や元伊勢をはじめ、名だたる聖地が並んでいます。
そしてこの線上に位置する木更津には全国で唯一、!
縁起の良い「八」が二つ並ぶ
八剱八幡神社があり、パワースポットと
して注目されています。

八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)

手水舎

八剱八幡神社(千葉県)

蛇🐍

八剱八幡神社(千葉県)

狛犬さん

八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)

拝殿

八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)

本殿

八剱八幡神社(千葉県)

三社神社⛩️ 稲荷神社 三峯神社 御嶽神社

八剱八幡神社(千葉県)

三社神社の彫刻

八剱八幡神社(千葉県)

八幡宮に鳩🐦

八剱八幡神社(千葉県)
八剱八幡神社(千葉県)

弟橘姫 鬼板

八剱八幡神社(千葉県)

日本武尊 鬼板

八剱八幡神社(千葉県)

御朱印 書き入れしていただきました🙏

八剱八幡神社(千葉県)

おまけ アクアラインから見えた夕日が綺麗でした✨

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歴史

社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。
源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。
天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長17年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。
宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。

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八剱八幡神社の基本情報

住所

千葉県木更津市富士見1丁目6−15

行き方

JR内房線木更津駅下車西口徒歩3分
館山自動車道 木更津北IC木更津市街方面2キロ、木更津南IC木更津市街方面2キロ

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名称

八剱八幡神社

読み方

やつるぎはちまんじんじゃ

参拝時間

8:00〜17:00

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0438-23-8881
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.yaturugi.net/
おみくじ

あり

絵馬

あり

SNS

詳細情報

ご祭神誉田別命(應神天皇)、素盞嗚命、日本武尊、息長足姫命(神功皇后)、足仲彦命(仲哀天皇)
文化財

徳川家康公寄進の銅鳥(指定文化財)
格天井装飾画(指定文化財)
五大力船(ごだいりきせん)絵馬(指定文化財)
嶺田楓江(みねだふうこう)寿碑(指定文化財)
平田篤胤短冊
平田篤胤書翰
大日本國東海道上總州圖
応永17年(1410)11月8日奉納の鐘(梵鐘銘の拓本)
永禄8年(1565)小弓城主・原上總介胤貞書翰
安永2年(1772)社殿再建の上棟の御槌(きづち)
寛政2年(1790)境界杭まで書かれた境内図

ご由緒

社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。
源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。
天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長17年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。
宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。

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