しもうさのくにみやま にのみやじんじゃ
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楽しみ方下総国三山 二宮神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年05月06日(火) 18時57分28秒
参拝:2025年5月吉日
富里香取神社様から、船橋市へ移動し二宮神社様へあがらせていただきました。建速須佐之男命、櫛稲田比賣命、大國主命、藤原時平公、大雀命、誉田別命の六柱を御祭神としてお祀りしています。創建は弘仁年間(810〜823年)に後嵯峨天皇の勅命によって創建されたと伝えられています。古来、二宮神社は近隣の二十三ヵ村の総鎮守として信仰されていたようです。二宮神社という呼称がいつから使われていたかは不詳ですが、鎌倉時代に紀年銘を持つ梵鐘にはその名前が刻まれています。
〈下総三山の七年祭り〉
七年祭りとは船橋市、千葉市、習志野市、八千代市の九つの神社が集まる下総地方伝統の寄合いのお祭りです。このお祭りは9月に行われる小祭と11月に行われる大祭から構成されています。6年毎の丑年と未年に行われ、数え年で7年になることから七年祭りといわれています。参加神社と役割ついては下記の通りになっています。
•二宮神社(船橋市) 父
•子安神社(千葉市) 母
•子守神社(千葉市) 子守
•三代王神社(千葉市) 産婆
•菊田神社(習志野市) 叔父
•大宮大原神社(習志野市) 叔母
•時平神社(八千代市) 長男
•高津比咩神社(八千代市) 娘
•八王子神社(船橋市) 末息子
お祭りの起源については諸説ありますが、室町時代、千葉一族にまつわる安産祈願と安産御礼に由来する説が有力とみられています。
小祭りは湯立ての神事によって大祭の日を占ったことから湯立祭とも呼ばれており、山車や神輿が1日かけて三山町内を練り歩きます。大祭初日は「禊式」から始まり、旧鷺沼海岸で身を清めます。2日目は「安産御礼大祭」として三山の神揃場に全ての神社の神輿が勢揃いし、二宮神社に向かい、昇殿して参拝を行います。3日目の「磯出祭」は千葉市の旧幕張海岸で行われる安産祈願の神事です。その後、子安神社の神輿によって「別れの儀式」が行われその帰りに二宮神社の神輿だけが習志野市鷺沼の神之台に立ち寄り、神事を行います。この神事によって祭りの終わりが知らされます。
下総三山の七年祭りは、千葉県の無形民俗文化財に指定されています。地域に伝わる神事、七年祭りが伝統行事としていくつもの時代を超えて伝承されてきたのはとても素晴らしいことだと思いました。
(参照:二宮神社HP及び境内看板より)
〈下総三山の七年祭り〉
七年祭りとは船橋市、千葉市、習志野市、八千代市の九つの神社が集まる下総地方伝統の寄合いのお祭りです。このお祭りは9月に行われる小祭と11月に行われる大祭から構成されています。6年毎の丑年と未年に行われ、数え年で7年になることから七年祭りといわれています。参加神社と役割ついては下記の通りになっています。
•二宮神社(船橋市) 父
•子安神社(千葉市) 母
•子守神社(千葉市) 子守
•三代王神社(千葉市) 産婆
•菊田神社(習志野市) 叔父
•大宮大原神社(習志野市) 叔母
•時平神社(八千代市) 長男
•高津比咩神社(八千代市) 娘
•八王子神社(船橋市) 末息子
お祭りの起源については諸説ありますが、室町時代、千葉一族にまつわる安産祈願と安産御礼に由来する説が有力とみられています。
小祭りは湯立ての神事によって大祭の日を占ったことから湯立祭とも呼ばれており、山車や神輿が1日かけて三山町内を練り歩きます。大祭初日は「禊式」から始まり、旧鷺沼海岸で身を清めます。2日目は「安産御礼大祭」として三山の神揃場に全ての神社の神輿が勢揃いし、二宮神社に向かい、昇殿して参拝を行います。3日目の「磯出祭」は千葉市の旧幕張海岸で行われる安産祈願の神事です。その後、子安神社の神輿によって「別れの儀式」が行われその帰りに二宮神社の神輿だけが習志野市鷺沼の神之台に立ち寄り、神事を行います。この神事によって祭りの終わりが知らされます。
下総三山の七年祭りは、千葉県の無形民俗文化財に指定されています。地域に伝わる神事、七年祭りが伝統行事としていくつもの時代を超えて伝承されてきたのはとても素晴らしいことだと思いました。
(参照:二宮神社HP及び境内看板より)
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