せんけいいんあと|曹洞宗
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館山市上真倉にある曹洞宗のお寺の跡。館山城の堀だった鹿島堀跡の傍にあります。
元々は安房の戦国大名里見義弘が建立したお寺があった場所です。開基の青岳尼は元々は鎌倉の太平寺の尼でしたが相模の後北条氏との戦いで鎌倉に来た里見義弘が彼女に惚れ込み還俗させ正室に迎え入れたという話があります。開山の淳泰は元は梅王丸(里見義重)という名前で青岳尼が亡くなった後に義弘が迎えた後室の子。義弘亡き後は安房里見家の当主になりましたが里見義頼(梅王丸の叔父とも兄弟とも)と対立し最終的には敗北し出家させられた人物です。
現在は青岳尼と淳泰の宝塔をはじめとしたお墓が並んでいますが他にお寺の痕跡などは見当たりません。御線香があげられていたのでお寺がなくなった今でも大切にされているのだと思われます。宝塔に手を合わせてお地蔵様に御賽銭を供えてきました。
泉慶院跡前
お墓
お地蔵様
鹿島堀跡
鹿島堀跡
水汲みポンプ(壊れてる)
大膳山跡
名称 | 泉慶院跡 |
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読み方 | せんけいいんあと |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
詳細情報
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
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創建時代 | 1571年(元亀2年) |
開山・開基 | 里見義弘・智光院殿・淳泰 |
ご由緒 | 曹洞宗の寺院で、里見義弘の室となった青岳尼を開基とし、義弘の息子梅王丸(淳泰和尚)を開山とする寺です。里見氏の時代には、160石余の寺領を与えられていましたが、江戸時代は7石に削られています。境内には両人の供養塔があるほか、館山城鹿島堀の一部が池として残されています。開基の青岳尼は小弓公方足利義明の娘で、鎌倉尼五山筆頭の太平寺住持でしたが、義弘に連れられて安房へ渡り還俗した人です。
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