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すのさきじんじゃ

洲崎神社
千葉県 館山駅

御朱印について御朱印
あり

真ん中に大きく洲崎神社と書かれている御朱印です。印は真ん中に菊紋が、右上に安房國一の宮が押されてい…

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ありません
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駐車場
あり

あり

洲崎神社について

安房国は夫婦で一宮!!


『延喜式』神名帳にて"后神天比理乃咩命神社"という名で載っているのがこの洲崎神社で、安房神社に祀られる天太玉命さまの"后神"を意味しています。
急勾配の長い階段を登りきり振り返ると太平洋が遠くまだ見渡すことができ、房総半島の先にあるので富士山も見えるという、一粒で二度美味しい絶景スポットです。

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Kou
Kou
2025年11月11日(火)1144投稿

所在地:千葉県館山市洲崎1344

主祭神:天比理乃咩命

社 格:式内社(大)論社、(伝)安房国一宮、旧県社

創 建:神武天皇年間

由 緒
大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、そこを開拓した。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされている。宝暦3年(1753年)に成立した洲崎神社の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。
洲崎神社社伝によれば、養老元年(717年)大地変のため境内の鐘ヶ池が埋まり、地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので役小角が7日7夜の祈祷を行い、明神のご神託により大蛇を退治して災厄を除いたのだという。また、役小角が海上安全のため浜鳥居前の海岸と横須賀の安房口神社に御神石を1つずつ置いた[注 2]など、洲崎神社には修験道の開祖である役小角にまつわる伝承が多くある。これより、洲崎神社が古くから神仏習合思想や修験道の影響を強く受けていたことを物語っているとされる。(Wikipediaより)

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例祭・神事

1月1日    歳旦祭
1月7日    海上安全・大漁満足祈願祭、湯立神事
1月8日    神社替え
2月初旬    稲荷神社初午祭
7月海の日   子供祭
8月21日   例祭・お浜出神事
11月15日   地区合同七五三祈祷
12月30日   大祓
毎月旧暦1日 月次祭・新月特別祈願祭

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歴史

神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部一族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総祖神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社とされています。平安時代の『延喜式神名帳』に式内大社后神天比理乃咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。
鎌倉時代の治承四年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参籠し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣帛使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を寄進。以降関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられており、東京湾をはさみ湾よ西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎する神社が数社あります。また成田市鎮座熊野神社境内には、明和二年(1765)建立の「六十六社石碑」があり、四方に一宮の社名が彫られ、安房国一宮として当社の社名が彫られていて、広く信仰されていたことがうかがわれます。
江戸時代後期の文化九年(1797)、膀胱の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。

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洲崎神社の情報

住所千葉県館山市洲崎1697
行き方

JR内房線「館山駅」から徒歩120分

洲崎神社の基本情報

名称洲崎神社
読み方すのさきじんじゃ
通称洲崎大明神
参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし

御朱印あり

真ん中に大きく洲崎神社と書かれている御朱印です。印は真ん中に菊紋が、右上に安房國一の宮が押されています。

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号0470-29-0713

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

詳細情報

ご祭神《主》天比理乃咩命《合》天太玉命,天富命,天
創始者天富命
本殿三間流造
文化財

みのこ踊り(千葉県指定無形民俗文化財)

ご由緒

神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部一族を率いて房総半島を開拓され、忌部の総祖神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社とされています。平安時代の『延喜式神名帳』に式内大社后神天比理乃咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。
鎌倉時代の治承四年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総の地に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参籠し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣帛使を派遣し妻政子の安産を祈願して、広大な神田を寄進。以降関東武家の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。
室町時代には、江戸城を築いた太田道灌が、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前身と伝えられており、東京湾をはさみ湾よ西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を奉斎する神社が数社あります。また成田市鎮座熊野神社境内には、明和二年(1765)建立の「六十六社石碑」があり、四方に一宮の社名が彫られ、安房国一宮として当社の社名が彫られていて、広く信仰されていたことがうかがわれます。
江戸時代後期の文化九年(1797)、膀胱の沿岸警備を巡視した奥州白河藩主老中松平定信が当社に参詣し「安房國一宮洲崎大明神」の扁額を奉納されました。

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