せいちょうじ|日蓮宗|千光山
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楽しみ方清澄寺のお参りの記録一覧(2ページ目)

日蓮聖人ととても縁が深く、故に改宗に至ったお寺。ながいこと天台宗寺院だったそうです。


仁王門。




千年杉。


案内板。

観音堂。


祖師堂。


島村唐四郎の彫刻。島村姓は伊八の師匠の家系です。



破風の力士。


石幢。

妙見堂。


中門。


大楠と宝篋印塔。


学問的に価値が高い宝篋印塔。

清澄寺(せいちょうじ)は、千葉県鴨川市にある日蓮宗の大本山の寺院。山号は千光山。本尊は十界曼荼羅。日蓮聖人が出家得度、立教開宗した寺とされる。総本山久遠寺、大本山池上本門寺、大本山誕生寺と合わせ日蓮宗四霊場と呼ばれる。東国花の寺百ケ寺・千葉11番。
寺伝によると、奈良時代の771年に素性が不明な僧・不思議法師が当地を訪れ虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し、山岳信仰の霊場となったという。古い柏の霊木が千光を発したことに因み山号を「千光山」、霊木の下の涸れ池を加持すると清泉が湧いたことに因み寺号を「清澄寺」にしたという。かつては12坊25堂を構える巨刹として繁栄したが、江戸時代初期の1618年2代将軍・徳川秀忠の命により智積院の頼勢が入寺し真言宗に改宗された。結果、朱印500石と十万石格式が与えられ併せて独礼寺格も有することになった。また、醍醐三宝院門跡の関東別院に定められ、十六葉菊紋の使用と駆け込み罪人の特赦が認められた。
戦後になって1949年に日蓮宗に改宗し、その後大本山となった。
当寺は、JR外房線・安房天津駅から北に6kmほどの山間部に位置している。内陸部から天津小湊(安房天津駅付近)に抜ける県道81号線からほど近い、交通の便が良い場所にある。
参拝時は週末の午後、観光地としても知られているようで、家族連れなどの参拝者がそれなりに来ていた。

歩いてきた道から見える景色。伽藍は<仁王門>をくぐって左側にあるらしい。
峠の茶屋から道を少し下がったところに境内がある。

境内入口の<仁王門>。

仁王門を抜けると、右手に<手水鉢>。写真左側にある<巨木>が気になる...

<仁王門>を振り返ると、こちらには山号<千光山>の文字の扁額が。<手水鉢>の向かいには<札所>。

<仁王門>をくぐって少し進み、直角に左方向に曲がってから進むと、突き当りに<大堂>。

<大堂>正面に祀られている<虚空蔵菩薩>は、「日本三虚空蔵」の一つに数えられることもある。

<大堂>の向拝の梁の彫刻が美しい。

<大堂>の右手に<授与所>。御首題はこちら。

<大堂>に向かって左手にある、大きく立派な<祖師堂>。

<大堂>に向かって右後方にある<鐘楼>。

<大堂>に向かって右手にある<中門>。かつて何かの境界があったのか。

境内の北東部、宝物館の近くにある<大楠>。斜面に力強く根を張っている。

境内の北東部にある<宝物館>。

宝物館の前にある<梵鐘(1382年銘)>と<宝篋印塔(1407年銘)>。

<仁王門>をくぐった時から気になっていた、境内の東端にある<千年杉>。この高さと太さが半端ない。説明書きだと、根回り太さ17.5m、目通り太さ15m、高さ47m。

どのぐらい太いかというと、写真のご家族(身長170㎝ほどと思われる)と比べると、半端ない太さが分かる。

<千年杉>から見た伽藍。意外とコンパクトにまとまって建っている。

<千年杉>から境内南東部に向かう途中にある<練行堂>。

境内南東部にある<清澄山仏舎利塔>。

境内南東端にある<日本山妙法寺>。

境内南東部の小高い場所に立つ<旭が森 日蓮聖人銅像>。1922年造立。

日蓮聖人像が見ている方向の景色。森の向こうに太平洋が見える。真南にある生誕地・小湊の方角か。
もともとは天台宗から真言宗になったお寺。その後、日蓮によって開宗を宣言したそうです。歴史も古く、大変大きなお寺です。
本堂
写真の説明
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三門
御首題
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