きょうにんじ|日蓮宗|小松原山
鏡忍寺のお参りの記録一覧
木々に囲まれ、どこか懐かしさを感じ、心が休まる趣るある寺院です。
御首題は、目の前でお書きになって下さり一筆一筆をありがたく拝見させて頂きました。
御首題
山門
仁王門
仁王のモデルは、横綱の羽黒山だそうです。
本堂
日蓮聖人ゆかりの地参拝も本日最後です。誕生寺ー妙蓮寺ー日蓮寺ー清澄寺ー日澄寺ー鏡忍寺と巡って来ました。ここは日蓮聖人が襲われた小松原法難があった場所。境内はかなり広く、梅が満開でした。
梅が満開
波の伊八の彫刻あります
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鯛瓦煎餅美味いです
鏡忍寺(きょうにんじ)は、千葉県鴨川市にある日蓮宗の本山の寺院。山号は小松原山。本尊は久遠実成本師釈迦牟尼仏。日蓮聖人一行が襲撃された事件、小松原法難の跡地に建立された霊蹟本山。
鎌倉中期の1264年、天津に向かっていた日蓮一向が、小松原に差し掛かった際に念仏宗徒の地頭・東条景信に襲撃され、同行していた弟子の鏡忍坊日暁と信者の天津城主・工藤吉隆が殺害され、日蓮本人も額を切られ、左手を骨折した。ただ斬りつけた東条景信も落馬して逃亡したため、日蓮は難を逃れた。これを<小松原法難>という。
のちの1281年に工藤吉隆の子・日隆が日蓮の命により法難跡地に霊蹟寺院として当寺を建立。創建当時は山号を「妙隆山」と号したが、その後鏡忍坊の名に因み「小松原山鏡忍寺」と改称した。
当寺は、JR外房線・安房鴨川駅の北1kmほどの平らな場所にある。周りはのどかな田舎町で、境内は自然いっぱいでそこそこ広い。
参拝時は週末の午前中で、自分たち以外にもちらほらと参拝者がいた。
境内入口の<総門>。右側には<小松原法難霊蹟碑>が立つ。
総門をくぐって参道を進むと左手に<手洗鉢>。
総門をくぐって参道を進むと正面に<仁王門>。三間一戸様式。2階部分に十界曼荼羅を祀る。仁王像のモデルは昭和の名横綱・双葉山がモデルなんだとか。
仁王門をくぐると、右手に<降神槙>。日蓮聖人の一行が法難の際、樹上に鬼子母神が現れ、危うく難を逃れたと伝わる槙の木。推定樹齢1000から1300年なんだとか。
本堂までまっすぐ伸びる参道を、途中で直角に右に曲がった突き当りが<祖師堂>。1281年建立。現在の建物は2007年再建。
平成の再建で外観は真新しいが、外陣欄間の彫刻や外面の蟇股などは江戸中期1772年再建時のものを使用したとのこと。
祖師堂の前に立つ小さな祠<法難堂>。
祖師堂前から左方向に突き当たりまで行くと、法華経の守護神・鬼子母神を祀る<鬼子母神堂>。江戸初期建立。その左側には戦国武将で日蓮宗大壇越の加藤清正公を祀る<清正公堂>。江戸末期建立。
総門・仁王門からの参道の突き当り、<清正公堂>の左隣にある<仏殿(本堂)>。江戸末期から明治初期の建立。
<仏殿>正面。この左隣に<庫裡・客殿>がある。御首題はそちら。
仁王門近くにある<三十番神堂>。法華経信者の守護神を祀る。
<三十番神堂>のとなりにある<鐘楼>。
<祖師堂>の真裏に広い駐車場完備。ただ駐車場までの道がかなり細い...
暴漢に襲われた日蓮さんは弟子の犠牲で命辛々助かったそうです。
その弟子のお墓があります。
本堂。
本堂の彫刻。
件の弟子のお墓。
祖師堂。この中に若い頃の伊八の彫刻家があります。
金乗寺の数年後、30代の作品とされています。
七福神の宴会。楽しげですね。
硬貨を叩いて使うといい感じに帰ってくるらしい小槌。
いいこと書いてますね。
日蓮上人を命をかけて守り通した弟子・鏡忍房日暁と工藤吉隆が埋葬されたお寺です。長閑で閑静な地にある再訪したくなるお寺でした。
写真の説明
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御首題
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