うとうじんじゃ
善知鳥神社のお参りの記録一覧
公式青森県 青森駅
うとうじんじゃ
公式青森県 青森駅
2023年初頭を過ぎたあたりからあれだけ爆発的に猛威をふるった新型コロナウイルスが終息まで
行かないまでも、感染者数が激減したことを受けて自身にとっては4年ぶりに海を渡っての旅行を計画しました
4年前の旅行では趣味の鉄道写真がメインでしたが、今回は3泊4日の日程で列車の撮影に
あてた日はたったの1日だけ・・・ なんと残りは神社めぐりです
そんな遠征初日はまず滞在時間3時間30分を有効活用し青森市で神社めぐりをしました
最初に行った善知鳥神社では夏詣で茅の輪が設置してありました
そして、神社の敷地内にはたくさんの境内社があって、家を出る時に持ってきたお賽銭がピンチの予感・・・
お参りを済ませてから社務所に行って御朱印帳を拝受するのですが、こんなに立派なものが野口さん
1人で手に入るとは夢にも思いませんでした。ここでは直書きで御朱印を頂き次なる神社に向かいました
宗像三女神が祀られているということで、ここでは欲しかった金運守を拝受しました
社務所では思わず2冊頂いちゃおうと思ったほどにお手軽な値段設定の御朱印帳でした
青森市発祥の地といわれる善知鳥神社(うとうじんじゃ)。
創建年代は不詳。大同2年(807年)再建。1.200年以上の歴史があります。
御祭神は宗像三女神(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)です。
青森市に住んでいた頃は必ずこちらに初詣に来ていたのを思い出して懐かしかったです。
池の鯉をボーっと見ていたら鳩が飛んできて肩や腕にとまり餌をねだってきました。
鳥居
拝殿
扁額
狛犬
三光稲荷神社
龍神宮
龍神水
弁財天宮
芭蕉翁句碑『名月や 鶴脛高き 遠干潟(めいげつや つるはぎたかき とおひがた)』
増田手古奈句碑『みちのくの 善知鳥の宮の 小町草(みちのくの うとうのみやの こまちぐさ)』
海軍の碑と死節碑
現在の青森市が善知鳥村と呼ばれていた頃、この地を治めていた善知鳥中納言安方が、日本の国の総主祭神である天照坐皇大御神の御子・宗像三女神を祭神として祀ったことが始まりとされている。
大同2年(807)、坂上田村麿により再建され、以後、青森総鎮守の社となり、家内安全・交通安全・商売繁盛の神として、今も昔もこの地の人々の厚い信仰を集めている。
境内にはかつて大きな湖沼だった名残の沼があり、拝殿奥の湧水「龍神水」は、古くから水や海に関係する仕事や商売の人達に信仰され、ご利益が湧き出るパワースポットとしても知られている。
また、板画家・棟方志功ゆかりの地としても知られており、作品が所蔵されているほか、境内では奥州街道終点記念の碑や、松尾芭蕉の句碑など多くの史跡がある。
【陸奥國 古社巡り】
善知鳥神社(うとう~)は、青森県青森市安方にある神社。旧県社。祭神は宗像三神(市寸嶋比賣命、多岐都比賣命、多紀理毘賣命)。青森県で最も初詣参拝者が多い神社。
社伝によると、創建は第18代允恭天皇の御代、烏頭安潟の夢枕に高倉明神が立ちお告げを受けたことから祠を建て宗像三神を勧請したことに始まる。その後荒廃したが、平安時代初期の807年に坂上田村麻呂が東夷東征の際に再建し、以来歴代領主から崇敬された。伝承では源義経が欧州平泉を脱出し蝦夷地を目指した際、当社を参拝したと伝わる。中世においては領主・南部家の庇護を受け社殿の造営・改修が行われ、江戸時代には弘前藩主津軽家の祈願所となった。このころ、当地周辺は港町として栄えたが、船舶から当社の社叢が青々と見え、海運の目印となったことから「青森」の地名が付いたとされる。明治に入り、近代社格制度のもと郷社に列し、のちに県社に昇格した。なお、棟方志功ゆかりの神社としても知られ、幼少期の遊び場で、結婚式も当社で挙げているとのこと。
当社は、JR奥羽本線・青森駅の東方600mの市街地、青森港もほど近い平地にある。境内は広々としていて、社殿も大きく重厚。青森総鎮守の旧県社らしい風格がある。ただ、おそらく当社も第二次世界大戦で米軍による青森大空襲で被災したからでしょう、古社なのに境内に古木などはなく、建物はいずれも近代的で新しいところは、由緒を知ると違和感はある。
今回は、青森県の旧県社、人気神社ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも地元の若い人々を中心に、おひとり様、カップル、グループ、家族などで参拝に訪れていた。青森の人たちの生活に溶け込み、大事にされている感じがした。
境内東端入口全景。青森市の中心街にある。
参道から少し離れたところに立っている<社号標>。明治34年(1901年)のもの。達筆過ぎてほぼ読めない...(^_^;)
参道進んで<一の鳥居>。
さらに参道進んで<二の鳥居>。
参道左側の<社務所>。御朱印はこちら。
参道左側の<手水舎>。
参道の突き当りにある<拝殿>。
参道左側の<狛犬>。丸々太って、おめめくりくり。これはまた個性的なお姿。
参道右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。鉄筋コンクリ製(たぶん)の神明造。北海道の神社みたい。似ているのは、ともに雪深いからかな。
拝殿向かって左側にある建物。扁額の文字は「御宝殿」かな?
ここから社殿の左側を奥に向かってすすみ、社殿の周りを時計回りに廻る。
こちらは<西南の役・戦没者慰霊碑>。
拝殿後ろの<本殿>。高く盛り上がったところに立っていて、平地からだと見上げる感じ。
社殿左奥には鳥居が立っている。
鳥居をくぐってすぐ左側にある建物。
鳥居をくぐって突き当りの、池の左端にある<龍神之水>。
本殿の背後にある池。島がポツンと浮いていて、赤い橋が架かっている。
島の上にある<弁財天宮>。江戸時代前期の1841年建立と伝わる。
社殿の右側にある<うとう沼>。かつては「安潟」と呼ばれ、天然の湖沼だったとのこと。
拝殿に向かって右手の<うとう沼>近くに、いつ区化の境内社とたくさんの石碑が立っている。
こちらは明治の俳人・増田手古奈の句碑。
こちらは<芭蕉翁句碑>。
こちらは<宮川翠雨書碑>。
こちらは<龍神宮>。江戸時代中期1777年に漁業守護・繁栄のために建立された。
鳥居の奥にある石碑は、左が<猿田彦大神>、右が<猿田彦命・月夜見命>。右側の小祠は詳細不明。
真っ赤な鳥居が立っているのは<稲荷神社>。
これは鳥の芸術作品?説明文の対応関係が分からなかった...(^_^;)
江戸時代後期の民俗学者・歌人の<菅江真澄>の歌碑。
こちらは、謡曲「善知鳥」とその「旧跡之地」碑。
最後に<社殿>全景。さすが、青森県の初詣参拝者数No.1の大神社。大きくて立派!(^▽^)/
八甲田神社へ向かう前に宿泊先のホテルから徒歩2~3分の善知鳥神社へ
街中なのでアクセスは抜群ですね。
今はコロナ禍で書置きのみで対応とのことです。
A.FACTORYから食後パチリ
青森ねぶたの家
備忘録含め申し訳ありません
青森駅前
可愛かったのでパチリ
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