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鎧神社について

藤原泰衡伝説の鎧


平泉の藤原4代目泰衡公が源頼朝の謀略により追討され、北方に逃れる際に鎧を脱いで置いていったといわれています。

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nijinsky1967
nijinsky1967
2020年02月26日(水) 20時03分43秒
13投稿

街の小さな神社です。二ツ井町槻ノ木138の田んぼの中にあるに『奥のお堂』も
お参りしてきました。

鎧神社の鳥居

白い鳥居

鎧神社のその他建物
鎧神社の本殿・本堂

拝殿

鎧神社の本殿・本堂
鎧神社の本殿・本堂

本殿

鎧神社の鳥居

境内からの鳥居の外の眺め

鎧神社の仏像

裏には色々な神さまがありました

鎧神社の狛犬

狛犬です

鎧神社の狛犬
鎧神社の周辺

奥のお堂が林の中にある

鎧神社の末社・摂社

奥のお堂の鳥居

鎧神社の末社・摂社
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鎧神社の基本情報

住所

秋田県能代市二ツ井町字家後62付近

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

鎧神社

読み方

よろいじんじゃ

詳細情報

ご祭神泉の冠者泰衡乃霊,豊受姫神
ご神体

藤原泰衡の鎧

創建時代

創建不詳

ご由緒

『ある秋の朝、槻ノ木村の一人の百姓が目を覚まし、小便に起きた。そして槻ノ木の方を見ると、まだ霧のおりているその大木の根かたにキラキラと光るものが置かれてある。いぶかりながら傍へ寄ってみると、それは一かさねの大きな鎧であった。驚いた百姓はそれを取り納め、以来鎧は槻ノ木村の神様として祀られるようになった。』
 その昔、奥羽平泉の藤原泰衡が源頼朝に攻められ、平泉から比内のにえの棚に落ちてゆくが、そこで部下の河田次郎の裏切りにあって討たれてしまう。鎧はその泰衡のものとされている。
 鎧神社は天保十二年に建立されたが、其の後文久元年現在地に移された。拝殿は建立以来百数十年を経ており、老朽化が著しかったため、薄井氏子一同は全面改築を検討、昭和六十二年二月二十四日完成する。

体験武将・サムライ伝説
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