やつるぎじんじゃ
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八剱神社について
村木砦の戦い(天文23年 1554年)の17年後に、水野信元の家来清水八右衛門と清水権之助により、両軍の戦死者を弔うために建立されました。
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ハイチュウ
2018年08月15日(水)
3763投稿
桶狭間の戦いより6年前、天文23年(1554)村木砦の戦いが勃発。織田・水野軍 対 今川軍、信長が初めて鉄砲を使った戦でもあります。戦いは数時間で終わったらしいのですが両軍、村人達から沢山の犠牲者が出たそうです。亡くなった人達の霊を鎮める為にこの神社が建てられました。
今は、砦を思わされる物はなく、ただただ静かに社が建つのみです。
神社にしろお寺さんにしろ、その背景に何があったのか探ってみるのも歴史ロマンに触れるいいチャンスだと思う今日この頃です。 ただ、あまり深掘りしすぎると先に進まなくなってしまうのが難点。
いつの世も、戦の多大なる犠牲になるのは、民であることは間違いないようです。
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名称 | 八剱神社 |
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読み方 | やつるぎじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 倭建命 |
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ご由緒 | 天文23年(1554)の村木砦の戦いの後、元亀2年(1571)緒川城主水野信元の代官清水家重が戦死者の霊を祀り、村木砦跡に建立したと伝える。 |
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最終更新:2022年07月30日(土)
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