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歴史

創建は不詳。
『寛文覚書』に「若宮」の名がみえ、『張州府志』にも「若宮祠」さらに天保12年(1841)の村絵図に「若宮森」が図示され、天保4年(1833)の棟札に「若宮八幡宮社」とある。明治期以降に八幡社と改称された。
往古は3,000平方メートルの社地を有した。高台の松樹が鬱蒼としたところで、松籟の音が琴を奏でる音の如く聞こえ、この地を琴園と呼んだ。
境内は明治19年、東海道線敷設により鉄道敷地として分断され、同39年同線複線化でさらに縮少された。昭和44年、鉄道輸送の増強による南方貨物線の敷設にさいし、再三の割譲を余儀なくされ、境内は615平方メートルと極度にせばめられて社殿移転の声さえ出た。しかし、草創以来の社地であるだけに、移転を惜しみ、神域の整備を行って、小規模ながら昔の面影をとどめようと、同45年に改築した。
明治初年まで、延命寺の支配下に置かれていた。

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名称八幡社(南島八幡社)

詳細情報

ご祭神《主》品陀和気命
ご由緒

創建は不詳。
『寛文覚書』に「若宮」の名がみえ、『張州府志』にも「若宮祠」さらに天保12年(1841)の村絵図に「若宮森」が図示され、天保4年(1833)の棟札に「若宮八幡宮社」とある。明治期以降に八幡社と改称された。
往古は3,000平方メートルの社地を有した。高台の松樹が鬱蒼としたところで、松籟の音が琴を奏でる音の如く聞こえ、この地を琴園と呼んだ。
境内は明治19年、東海道線敷設により鉄道敷地として分断され、同39年同線複線化でさらに縮少された。昭和44年、鉄道輸送の増強による南方貨物線の敷設にさいし、再三の割譲を余儀なくされ、境内は615平方メートルと極度にせばめられて社殿移転の声さえ出た。しかし、草創以来の社地であるだけに、移転を惜しみ、神域の整備を行って、小規模ながら昔の面影をとどめようと、同45年に改築した。
明治初年まで、延命寺の支配下に置かれていた。

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