ふくじゅうじ|曹洞宗|徳應山
福住寺愛知県 亀崎駅
お問い合わせ下さい。
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 参拝者用駐車場あり 10台(寺内)
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眼病にご利益のある「水弘法」
霊水は残念ながら今は枯れてしまって湧き出ていない。しかし、昔その水で眼を洗ったところ、眼が見える様になったという実在の話を聞きつけお願いするだけでもと参拝に訪れる人が多い。
「知多四国八十八」第12番、
「愛知梅花三十三」第32場です。
行くまでが住宅地内にあり、迷路みたいになっていたので、看板がありました。
境内を見ていると、奥様が花の手入れをしていました。
ニコニコと笑いかけてくださり、話しやすかったです。
近くの小学校に城が建っていたらしく、御城印もあったので、頂きました。
霊場巡りを何種類もしていて凄いねと言われました😌
知多四国八十八ヶ所巡りの15寺目は、先の第54番札所の海潮院と同じく半田市に在る第12番札所の徳応山 福住寺です。先の海潮院から北西へ約3kmの所です。
曹洞宗で、本尊は阿弥陀如来(無量寿仏)。
1559年に知多半島を治めていた水野信元(異母妹に於大の方がおり、徳川家康の伯父にあたる)が喜蔵院をこの地に移して創建。元禄年間(1688~1704年)に円翁呑鏡和尚が福住寺に改称したとの事です。
有脇小学校の隣でした。校舎の裏側になります。10台停めれる駐車場がありましたので停めさせて頂きました。境内の中に駐車場がある感じでしたので、いつも通りに、一旦山門から出で、山門から入り直しました。
山門をくぐると右側から庫裏・納経所、本堂、弘法堂、観音堂、鐘楼、千体地蔵堂。
先ずは本堂で本尊に手を合わせてから、軒続きの弘法堂で弘法大師に手を合わせ、次に観音堂ですが、聖観音菩薩は秘仏で、厨子の前のお前立ちに手を合わせました。千体地蔵堂には無数のお地蔵さんです。最後に納経所で御朱印を頂きました。
納経所のカウンターは陽当たりがいいので猫が日向ぼっこ。他にもいっぱい、20匹位は居ますね。
御朱印
子安地蔵
山門
千体地蔵堂
千体地蔵
鐘楼(奥は小学校の体育館)
本堂
弘法堂
観音堂
納経所
猫がいっぱい。日向ぼっこ。
梅花観音と知多四国の霊場です。
有脇小学校の傍に鎮座します。
山門下の水弘法は、霊水はもう枯れてしまているそうです。
境内地は猫が数匹放し飼いになっています。
観音堂や千体地蔵堂は開けっぱなしにすると、
猫が入ってくるので、扉の開放には注意したいですね。
御朱印は直書き、四国霊場の巡拝帳、梅花観音は切らしているとか。
梅花観音の帳面は、岡崎の渭信寺が一番札所。
何かのタイミングで参拝できると良いなぁと思っています。
また、猫ちゃんにも会いに行こう🐱
直書き御朱印です、
知多四国八十八ヶ所の奉納経です。
結構道が細い所でした。対向車来ると離合は不可能ですね。
鐘楼堂
リュウキンカ
千体地蔵、大浜(刈谷)から移されたそうです。
千体地蔵堂の賽銭箱
水弘法
子安地蔵
お稚児さん募集のポスターあり。
豊仁寺(郷中町)は西山浄土宗のお寺
雲澤寺(協和町)は真宗大谷派のお寺
納経所です。
右側に見切れていますが、猫ちゃんがお休みしています。
猫がいっぱい🐱
本堂
この猫ちゃんはさわれませんでした。
弘法堂は本堂の左側、猫ちゃんは不思議と入ってきませんね。
弘法堂の中です
同じく弘法堂の中です。
二十匹くらいいるらしい猫ちゃん
この子は触らせてくれる。
ちょっと距離がありますね。
住所 | 愛知県半田市有脇町6-18 |
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行き方 | JR武豊線「亀崎駅」から、半田市公共交通バス「地区路線Aごんぐる亀崎・有坂線」に乗車。「日本福祉大学半田キャンパスバス停」で下車、歩いて約500〜600m。 名鉄河和線「知多半田駅」、JR武豊線「半田駅」、JR武豊線「乙川駅」から知多バス半田北部線に乗り、「日本福祉大学バス停」で下車、歩いて約500〜600m。 |
名称 | 福住寺 |
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読み方 | ふくじゅうじ |
参拝時間 | お問い合わせ下さい。 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0569-28-0727 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
知多四国霊場 | |
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愛知梅花三十三箇所観音霊場 第32番 | 御本尊:聖観世音菩薩 御詠歌: はかりなき 此の世の罪も 消えにけり 変わらぬ恵み 有脇の寺 |
ご本尊 | 無量寿如来 聖観世音菩薩 弘法大師 |
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山号 | 徳應山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
開山・開基 | (開山)大方無外大和尚・(開基)円翁呑鏡和尚 |
ご由緒 | 桶狭間の戦い前年の永禄2年(1559)緒川と刈谷の城主だった水野信元が、福住村にあった修験宗喜蔵院をこの地に移し、砦の鎮護にしたのが開創と伝えられている。元禄年間に福住寺と改められる。明治中期に法地となり、堂宇を整備した。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り伝説 |
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