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こうぜんじ|曹洞宗西尾山

康全寺の御由緒・歴史
愛知県 西尾駅

ご本尊大日如来坐像
創建時代応永5年(1398)
ご由緒

応永5年(1398)城内の御剣八幡宮の近くにあった八幡六坊のうち釈迦堂と大日堂を移し、吉良山満全寺とし、異国僧劫外乗空禅師が復興した。当時吉良荘の領主であった吉良氏も深く帰依していたという。
天正9年(1581)酒井重忠の城主時代、徳川家康が村巡見の途中にこの寺に泊まった折に、家康から一字をもらい、西尾山康全寺と改めたという。同13年、西尾城拡張の際に現在地に移し、鎮城の禅寺としたと伝えられる。

歴史
歴史[編集] 創建[編集] 承久3年(1221年)に足利義氏が西条城(後の西尾城)を築くと、足利義氏は城内に御剱八幡宮を祀り、天台宗僧侶を別当とする六坊を建てた[1]。やがて浄土真宗に帰依する僧侶や寺院が多くなったため、八幡六坊は衰退していった[1]。 御剱八幡宮を護持していた八幡六坊のうち、神宮寺釈迦堂と金剛王院大日堂が康全寺の前身とされる[2][3]。応永5年(1398年)、瑞泉寺3世の却外乗空禅師がこの2寺を再興すると、吉良満貞は却外乗空禅師に帰依して堂宇を建立し、吉良山満全寺と名付けた[2][1][3]。 御剱八幡宮 戦国時代[編集] 天正7年(...Wikipediaで続きを読む
引用元情報康全寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BA%B7%E5%85%A8%E5%AF%BA&oldid=100602380

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