じっそうじ|臨済宗妙心寺派|瑞境山
実相寺愛知県 西尾駅
お問い合わせ下さい。
西尾の抹茶
名産である西尾の抹茶は、禅宗の実相寺の僧が文永8年(1271)頃にもたらしたと伝えられる。
産業としての茶栽培は、明治期に足立順道が宇治より茶種を導入したことに始まる。
西尾の抹茶は矢作川より運ばれた土壌と川霧の恩恵に負うところが大きく、深い緑、上品な香り、まろやかな味が特色である。抹茶の原料となるてん茶は全国トップクラスである。
今日は三河三十三観音霊場巡りの続き(今回で3度目、残り5寺)です。まず1寺目は、西尾市に在る第29番の瑞境山 実相寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は如意輪観音、札所本尊も如意輪観音。
この如意輪観音は市指定文化財で、また、釈迦堂に安置されている釈迦三尊像は県指定文化財、四天王像は市指定文化財です。
毎年4月の第2日曜に花まつりが行われ、釈迦堂が開帳されて釈迦三尊像と四天王像が拝観出来ます。今年の第2日曜は4月10日、この日に合わせて参拝しました。しかしながら、コロナ禍により釈迦堂に入いる事は出来ず、堂の外からの拝観でした。(仕方ないですね。)
1271年に吉良氏の菩提寺として吉良満氏が聖一国師を開山とする東福寺派(臨済宗)の禅寺として創建。七堂伽藍を備えた塔頭寺院40余の大寺院であったが、その後、足利幕府の衰亡と共に荒廃。1541年に太原禅師が入寺、中興され臨済宗妙心寺派に改宗。しかし、1560年に織田信長の兵火により多くの堂宇を焼失。その後の天正年間(1573~1592年)に遠州宇布見より古堂を移し仏殿とし、釈迦三尊像を安置した。更に慶長年間(1596~1615年)の1603年に本堂(方丈)が、元禄年間(1688~1704年)に庫裡が再建された。
境内の東側に10台位停めれる駐車場があります。山門はなく、参道の先に釈迦堂。釈迦堂開扉のため堂の周りを1周していた柵が一部除かれ、垂れ幕が付けられていました。お堂の中に檀家さんの奥様方(と思います)がいらっしゃって「今日はお堂に入れなくて申し訳けないね。甘茶があるからね。」と。
南北朝時代の1362年作の釈迦三尊。右側に獅子に乗った文殊菩薩、左側に像に乗った普賢菩薩。その左右に2躯ずつ四天王像、南北朝と江戸時代頃の作、腕先が欠損していたり傷みがあります。それから花御堂の誕生仏に甘茶を掛けさせて頂きました。
釈迦堂の先の本堂(方丈)に上がらせて頂き、本尊の如意輪観音に手を合わせました。こちらも南北朝時代作、クールな感じですね。
庫裏の前にパイプテントが張られていて、そちらでセルフで朱印を押印しました。(通常、セルフ用朱印は本堂の中に置いてあるのでしょう。)
御朱印
参道(三河クロマツ群生 天然記念物)
釈迦堂
釈迦堂の堂内
釈迦三尊像(県指定文化財)
四天王像(市指定文化財)
花御堂(釈迦堂の左脇)
勅使門
鐘楼
梵鐘は県指定文化財(写真を撮り漏らした)
本堂(方丈)
本尊·如意輪観音(市指定文化財)
駕籠(三河の寺院の本堂に多々ぶら下げてある)
庫裏
八十八ヶ所札所巡り
かつては、めちゃめちゃ大きな力のあるお寺さんだっんだろうな。今はその気配を感じない。それとも私が見落としているだけなのかも。
クロマツ 市指定の天然記念物
(仏殿)釈迦堂
勅使門 この奥に方丈(本堂)があります。残念ながら方丈は工事中。
鐘楼
ミニ八十八ヶ所霊場
名称 | 実相寺 |
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読み方 | じっそうじ |
参拝時間 | お問い合わせ下さい。 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0563-57-4364 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
三河三十三観音霊場 第29番 | 御本尊:如意輪観音 |
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ご本尊 | 如意輪観世音菩薩 (仏殿安置仏) 釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩 |
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山号 | 瑞境山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建時代 | 文永8年(1271) |
開山・開基 | (開基)吉良満氏 (開山)聖一国師 |
文化財 | 釈迦堂並びに釈迦三尊像(県指定文化財)
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
概要 | 実相寺(じっそうじ、實相寺)は、愛知県西尾市上町下屋敷15にある臨済宗妙心寺派の寺院。方丈本尊は如意輪観音坐像。吉良氏の菩提寺である。毎年4月には花祭り「おしゃかさん」が開催される。 |
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歴史 | 歴史[編集] 中世[編集] 文永8年(1271年)、吉良満氏が吉良氏の菩提寺として東福寺から円爾(聖一国師)を迎えて創建した[1]。「実相安国寺伝記」によると、海岸近くの松並木を切り開いて伽藍を建立したという[2]。古くは実相安国禅寺と呼ばれていた[1]。天文10年(1541年)、妙心寺派に改めた[1]。永禄3年(1560年)、織田信長の兵火によって多くの堂宇が焼失した。 近世[編集] 徳川家康の家臣である鳥居元忠が再建に尽力し[3]、慶長8年(1603年)に方丈(本堂)が再建された[4]。南北朝時代の文化財も数多く残っている[1]。 近代[編集] 明治時代には方丈の大規模修繕が行...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「実相寺 (西尾市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%9F%E7%9B%B8%E5%AF%BA%20%28%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B8%82%29&oldid=100836886 |
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