いちばらいなりじんじゃ
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市原稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月26日(日)
参拝:2023年2月吉日
愛知県刈谷市の逢妻川のほとりに鎮座されています。
出張のあと、仕事が早く終わったためお参りさせていただきました。
思っていたよりも境内は広く、平日の夕方ということもあり参拝される方もほとんどいらっしゃいませんでした。
神聖な空気を独り占めでき、今日も仕事を頑張ってよかったーと思えたひと時でした。
拝殿前には、触れるだけでご利益があるという「稲荷の玉」が置かれています。
(すみません、写真を撮り忘れてました😅)
昔、全国を旅する一人の老人がこの地を訪れ宿を探していたということで、その時の宮司様が老人に宿を貸したそうです。
翌日、老人から「この境内には御神宝に勝るとも劣らない立派なものがある。それを丁重にお祀りすれば、より一層繁栄するでしょう。」と言い残して去って行ったそうです。
宮司様が境内を隈なく探してみると、御本殿の脇より大きな石の玉が出てきてお祀りしていると、参拝の方がこの玉に触れると、子宝に恵まれた/病気が治ったという話が聞かれるようになり、所願成就の石の玉として知れわたったとのことです。
御祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
御由緒 ~いただいた由緒記より~
「市原神社鎮座記」によると、第36代孝徳天皇の白雉(はくち)4年(653)に、亀狭山(現:亀城公園)の地に神殿を創立したのが始まりという。
後に水野忠政公がこの亀狭山に刈谷城を築いてからは、社を城の隅に移しまつり、神馬などを奉り手厚く武運降昌の祈願所とした。
妙歴4年(1658)稲垣重昭公の代に現在地に社殿を遷座したとされる。
この頃には、知立神社・野田八幡宮と共に刈谷藩の領内三社として尊崇を受けた。
平成15年(2003)には御鎮座1350年を記念して、本殿改修、社務所建設、境内整備等が行われた。
出張のあと、仕事が早く終わったためお参りさせていただきました。
思っていたよりも境内は広く、平日の夕方ということもあり参拝される方もほとんどいらっしゃいませんでした。
神聖な空気を独り占めでき、今日も仕事を頑張ってよかったーと思えたひと時でした。
拝殿前には、触れるだけでご利益があるという「稲荷の玉」が置かれています。
(すみません、写真を撮り忘れてました😅)
昔、全国を旅する一人の老人がこの地を訪れ宿を探していたということで、その時の宮司様が老人に宿を貸したそうです。
翌日、老人から「この境内には御神宝に勝るとも劣らない立派なものがある。それを丁重にお祀りすれば、より一層繁栄するでしょう。」と言い残して去って行ったそうです。
宮司様が境内を隈なく探してみると、御本殿の脇より大きな石の玉が出てきてお祀りしていると、参拝の方がこの玉に触れると、子宝に恵まれた/病気が治ったという話が聞かれるようになり、所願成就の石の玉として知れわたったとのことです。
御祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
保食神(うけもちのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
御由緒 ~いただいた由緒記より~
「市原神社鎮座記」によると、第36代孝徳天皇の白雉(はくち)4年(653)に、亀狭山(現:亀城公園)の地に神殿を創立したのが始まりという。
後に水野忠政公がこの亀狭山に刈谷城を築いてからは、社を城の隅に移しまつり、神馬などを奉り手厚く武運降昌の祈願所とした。
妙歴4年(1658)稲垣重昭公の代に現在地に社殿を遷座したとされる。
この頃には、知立神社・野田八幡宮と共に刈谷藩の領内三社として尊崇を受けた。
平成15年(2003)には御鎮座1350年を記念して、本殿改修、社務所建設、境内整備等が行われた。
すてき
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