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JR東海道本線「逢妻」駅から南に約800mのところになります。
まわりは戸建てが建ち並ぶ住宅地ですが、境内はちょっとした森になっておりとても閑静なところでした。
基本的にお祭り等のとき以外は無人のようでした。
御祭神 伊邪那岐尊
速玉之男尊
事解之男尊
<御由緒>~境内の由緒記より~
本社の創立は詳かでないが、当村(旧熊村)は、古来産土神として祀っていた。
口碑によれば紀伊の人専志坊熊野三社大権現三尊佛を奉持し奉り今の八幡山の地に一宇を建立し安置したるを同寺の真宗に転宗せらるると同時に移して熊野堂に祀りたりと伝う。
然るに同尊佛は明治維新時の際神仏混淆の廃止にともない、土井候の斡旋により神仏分離せられしという。
本社はもと刈谷城の東北艮の方に当れるを以って藩主土井候は鬼門除の神として尊崇せられたものである。
今の社殿は土井利善候の寄進せられたもので拝殿の絵天井は浅井貞幹氏の作という。
一の鳥居
二の鳥居
拝殿
山神社
護国神社
歴史
紀伊国の人、専光坊なるもの、熊野三社大権現三尊仏を奉持してこの地に来て、いまの八幡山の地に一宇を建立して祀ったのが始まりと伝える。のち同寺が転宗するとこれを移して熊野社に祀ったが、明治に至り神仏分離により三尊仏は元の堂宇の安養寺に移した。今の社殿は土井利善の寄進により、拝殿に描かれた絵は浅井貞幹の作という。
村社
(刈谷市史より)
名称 | 熊野神社 |
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詳細情報
ご祭神 | 《主》伊邪那岐尊,《配》速玉之男尊,事解之男尊 |
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ご由緒 | 紀伊国の人、専光坊なるもの、熊野三社大権現三尊仏を奉持してこの地に来て、いまの八幡山の地に一宇を建立して祀ったのが始まりと伝える。のち同寺が転宗するとこれを移して熊野社に祀ったが、明治に至り神仏分離により三尊仏は元の堂宇の安養寺に移した。今の社殿は土井利善の寄進により、拝殿に描かれた絵は浅井貞幹の作という。
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