ほうぞうじ
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楽しみ方法蔵寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年02月05日(土) 17時11分13秒
参拝:2022年1月吉日
三河三十三観音霊場巡りの15寺目は、岡崎市に在る第12番の二村山 法蔵寺です。14寺目の渭信寺から南へ約2.5kmの所です。今回の最後となります。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来、札所本尊は聖観音菩薩。
伝えによれば、701年に行基が観音像を刻み、法相宗の出生寺を創建。後に空海が諸堂を改修、六角堂を建立し、真言宗に改宗。1385年に京都·円福寺から来住した教空龍芸が浄土宗に改宗し、法蔵寺に改めた。その後、松平親氏が伽藍を建立し、松平家の菩提寺とした。また、家康が幼少の頃にこの7代教翁和尚(家康の伯父)に読み書きを習ったとの事です。
参道の両側に30台位駐車できます。
一番手前に家康お手植えの御草紙掛松があります。山門をくぐると賀勝水、石段の途中に日本武尊社があって鐘楼門をくぐると境内に入ります。結構広い境内です。
先ず、本堂で手を合わせます。堂内には入れませんが扉が開かれていますので須弥壇の本尊·阿弥陀如来は確認出来ました。こちらにはセルフ用御朱印はありません。
本堂左側には六角堂と棟続きの拝殿、こちらに札所本尊の聖観音が祀られていますが確認出来ませんでした。六観音が祀られているそうです。(「写真で勘弁してね。」と庫裏で言われました。)こちらにもセルフ用御朱印はありません。
奥へ進むと、新撰組の近藤勇の首塚、松平家御霊廟と三方ヶ原合戦忠死者の墓、その上に家康が詣りに来たという東照宮があります。(東照宮って家康が亡くなった後に造ったはずなんだけど・・)
ぐるっと廻ってから庫裏の納経所で朱印を押印して頂きました。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来、札所本尊は聖観音菩薩。
伝えによれば、701年に行基が観音像を刻み、法相宗の出生寺を創建。後に空海が諸堂を改修、六角堂を建立し、真言宗に改宗。1385年に京都·円福寺から来住した教空龍芸が浄土宗に改宗し、法蔵寺に改めた。その後、松平親氏が伽藍を建立し、松平家の菩提寺とした。また、家康が幼少の頃にこの7代教翁和尚(家康の伯父)に読み書きを習ったとの事です。
参道の両側に30台位駐車できます。
一番手前に家康お手植えの御草紙掛松があります。山門をくぐると賀勝水、石段の途中に日本武尊社があって鐘楼門をくぐると境内に入ります。結構広い境内です。
先ず、本堂で手を合わせます。堂内には入れませんが扉が開かれていますので須弥壇の本尊·阿弥陀如来は確認出来ました。こちらにはセルフ用御朱印はありません。
本堂左側には六角堂と棟続きの拝殿、こちらに札所本尊の聖観音が祀られていますが確認出来ませんでした。六観音が祀られているそうです。(「写真で勘弁してね。」と庫裏で言われました。)こちらにもセルフ用御朱印はありません。
奥へ進むと、新撰組の近藤勇の首塚、松平家御霊廟と三方ヶ原合戦忠死者の墓、その上に家康が詣りに来たという東照宮があります。(東照宮って家康が亡くなった後に造ったはずなんだけど・・)
ぐるっと廻ってから庫裏の納経所で朱印を押印して頂きました。

御朱印

御草紙掛松(家康お手植えの松 現在4代目)

山門

賀勝水

日本武尊社

鐘楼門

境内案内図

本堂

本堂内

観音堂(六角堂)拝殿 2002年再建

六角堂

祀られている六観音(観えません)

近藤勇(新撰組)首塚
本当に近藤勇の首が埋葬されたらしい
本当に近藤勇の首が埋葬されたらしい

松平家御霊廟と三方ヶ原合戦忠死者の墓

東照宮

客殿

庫裏(納経所)
すてき
投稿者のプロフィール

nomuten1397投稿
仏像の造形美に惹かれて、主に寺院に参拝しております。 御朱印収集はしておりませんが、あれば頂戴します。但し、お洒落な、手の込んだ限定御朱印などは余り頂戴しませんので悪しからずです。(限定御朱印は...もっと読む
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