しょういん|浄土宗西山深草派|上野山
利生院のお参りの記録一覧
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「三河新四国」第57番、「三河三十三」第16番札所です。
天正17年、形原城主 松平家信は徳川家康の関東移封に伴い上総五井にお国替えとなりました。
その際形原城中守護の観音像を現在の地に一宇を建立し安置、智厳法印の開基で開山しました。
御朱印は庫裏で頂きました。
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三河三十三観音霊場巡りの4寺目は、蒲郡市に在る第16番の上野山 利生院です。
3寺目の永向寺から南西へ約8kmの所です。
浄土宗で、本尊は阿弥陀如来、札所本尊は聖観音菩薩。
1589年に形原城主であった形原松平家の6代目の松平家信が、家康の関東移封に伴い上総五井(現千葉県)にお国替えとなったため、この地にお堂を建て、形原城の守護の観音を安置。智巌法印が開基となり開山した。
細い道を少し上がった所に境内があり、数台停めれる駐車場がありました。下から上がってくる石段の参道があるとは知りませんでした。
石柱が2本のタイプの山門で、こちらの寺院に多い気がします。
左側に手水、横にブランコがあるのは近くのお子さんが遊びに来るから?
右側には庫裏、並んで本堂。山門から正面に見えたのが本堂かと思っていたら観音堂でした。
本堂の扉は解錠されていて、堂内で手を合わせました。須弥壇には本尊の阿弥陀如来。セルフ用御朱印がありましたのでセルフで朱印を押印しました。(観音様に手を合わせてから御朱印を頂くのが筋だと思いますが、後先逆なのはご勘弁。)
次に横の観音堂に。観音堂の扉は予め1m位開かれていて堂外から手を合わせました。閉扉された厨子の中に聖観音が祀られていますのでお姿は観れません。12年に1度、午(うま)年にご開帳されるようです。(未確認情報ですが。)
標高はそれ程ではありませんが、海が近く、いい景色でした。
御朱印
石柱タイプの山門(正面奥は観音堂)
手水
本堂
観音堂
横に長く伸びた松
境内からの景色
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