みょうしょうじ
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妙勝寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年04月01日(月)
参拝:2024年3月吉日
日蓮宗 長正山 妙勝寺
境内がとてもきれいに整備された立派なお寺様でした。
雨が降る中の参拝だったのですが、晴れた日にぜひお参りしたいと思いました。
本堂内ではちょうど掃除をされている真っ最中だったため本堂内には入らず、外から手を合わさせていただきました。
御首題はご住職がいらっしゃるときのみのようで、また事前に連絡を入れておく必要があるようでした。
<縁起>~日蓮宗尾張伝道センターHPより~
もと京都本圀寺の末寺。初め持正山・密勝寺と号し、真言宗の寺院であった。
弘長元年(1261)、住僧善妙が日蓮聖人との問答のすえ、改宗して弟子となり、名を善学院日妙と改め長正山妙勝寺と改称した。ゆえに善学院日妙を開基とする。
応永七年(1400)京都本国寺五世日伝より、板東総本寺の証状を付与され大いに発展していたが、天文年中(1532-54)兵火に罹り七堂伽藍を焼失したと伝える。
その後、織田・福島・徳川諸家の帰依を受け、江戸時代初頭には十九世日賢が再建に努めた。
また明治二十四年(1891)の濃尾震災によって、再び堂舎に被害を受けたが、四十六世日解が復興して現在に至っている。
境内がとてもきれいに整備された立派なお寺様でした。
雨が降る中の参拝だったのですが、晴れた日にぜひお参りしたいと思いました。
本堂内ではちょうど掃除をされている真っ最中だったため本堂内には入らず、外から手を合わさせていただきました。
御首題はご住職がいらっしゃるときのみのようで、また事前に連絡を入れておく必要があるようでした。
<縁起>~日蓮宗尾張伝道センターHPより~
もと京都本圀寺の末寺。初め持正山・密勝寺と号し、真言宗の寺院であった。
弘長元年(1261)、住僧善妙が日蓮聖人との問答のすえ、改宗して弟子となり、名を善学院日妙と改め長正山妙勝寺と改称した。ゆえに善学院日妙を開基とする。
応永七年(1400)京都本国寺五世日伝より、板東総本寺の証状を付与され大いに発展していたが、天文年中(1532-54)兵火に罹り七堂伽藍を焼失したと伝える。
その後、織田・福島・徳川諸家の帰依を受け、江戸時代初頭には十九世日賢が再建に努めた。
また明治二十四年(1891)の濃尾震災によって、再び堂舎に被害を受けたが、四十六世日解が復興して現在に至っている。
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