つつみはりじんじゃ
堤治神社のお参りの記録一覧
御祭神 埴安姫神
天照皇大神
神亀🐢
大亀伝説
昔、大洪水で川が氾濫した時に神の使いである大きな亀が現れて、堤防の決壊を防いで地域の住民や田畑を守ったという神亀さん
美濃路のひな祭
拝殿にある階段をひな壇🎎に見立て、人形を並べられてました。
・子安神社 木花開耶姫命
・御神石『むすびの夫婦石』
夫婦石として夫婦円満、家内安全、縁結び・出逢いのご利益
むすびの石
夫婦石の左側の石が、こぶしを握ったように見えます。そして、手を結んだように見えます👊
亀石
夫婦石の右側の石は、亀の甲羅のように見えます。
・御神木
三位の大いちょう(一宮市指定天然記念物)
徳川家のお手植えといわれています。古くより大堤防にて数々の水災害からこの地を守り続けておられます。根元より三本に分かれています。
※長寿健康・若返りをご祈願
反時計回り
※諸願成就・金運向上をご祈願
時計回り
それぞれ三回まわれば祈願が成就するんだそうです。
・神池
・招福稲荷神社 倉稲魂命
金の宝玉を咥えた白稲荷像と金の宝玉を咥えた黒稲荷像
尾張国中島郡の式内社です。木曽川の堤防沿いに鎮座しており、その名前その由来から水難除けの神様として崇敬されています。木曽川はかなり暴れ川だったらしく洪水も頻繁に起きていたことから秀吉公や尾張藩主による祈願所となっていました。
《鳥居と社号碑》
《手水舎》
水琴窟が両側に置かれていますが、水の流れる量が少なく音が小さめ…
《社務所》
普段なら神主さんが常駐しているようなのですが、研修会で留守だったようです。
《太閤橋》
《表参道》
👁チェックポイント‼️
尾張国は現在のような土地ではなく、平安時代には名古屋の中心街は全て海に沈んでいたほどに水場が近く、前述の通り木曽川も暴れ川で水害とその水気の多い土地だったこともあり、この神社への歴代支配者の崇敬が篤くなったと思われます。
《由緒書き》
"堤"を"治"定する神社という、まさしく建てた目的、建てた位置をそのまま表している社名を持っています。分かりやすいですね。
《参集殿》
《藤棚》
《埴安の池》
日々の罪穢れを洗い流してくれるそうですが、普段から水は張られていないそうです。
《招福稲荷神社》
本殿の裏手にあり、白黒の眷属さんが特徴的です。
いつもお世話になっておりまs(🤛
月替わりの参拝ですが、大渋滞にて現地入りが遅くなっちゃいました。
今日は風は強いですが、お日柄も良く20℃です。
風が無ければちょっと暑いくらいでしょうか?
境内内は、新緑が美しくこの時期ならでは、の若い葉が繁っていますね。
木陰にて陽射しを受けると夏が近づいているなぁ〜とヒシヒシと感じます。
後半の連休初日なので油断せずに帰路へつきたいです。
御朱印は今月3体あり、月替わり・大吉招福・祭典です。
オヒタビラコ
オヤブジラミ(雄薮虱)かな?
双葉葵
月替わりの書置き御朱印は端午の節句
青紅葉に鯉のぼり、健康祈願の瓢箪スタンプ付きです。
大吉月替わりの書置き御朱印は夏の始まりとしてチューリップのイラストです。
2日後には立夏を迎えるのですが、予め立夏と書いてあります。
招福大吉のカード(お守り)付きです。
祭典朱印です。こちらも書置き
末社の招福稲荷神社の例祭と書かれ、白黒の稲荷像が描かれています。
参拝です。
御朱印はまた後ほど
奥の稲荷神社の狛狐様が新しくなっていました。
令和三年十二月吉日に奉納されたそうです。うわ〜これは知らなかったな🦊
大銀杏の新芽は付いてはいますね、まだ寒さが残るから参拝に来たときに見にこようと思う。
2月限定の御朱印
節分祭の御朱印
祈年祭の御朱印
真清田神社に行く前に寄りました。
時間ギリになっちゃったな。
時間ギリでも正解だった。
月参り御朱印参拝カードなるものが作られていました。
鳥居
標柱
手水舎
本殿
御朱印カード
年間を通して押印して貰えるみたい。
12個以上〜
24個以上〜
36個以上〜
全40個
出来る事ならコンプリート狙ってみたい!!
【尾張国 式内社巡り】
堤治神社(つつみはり~)は、愛知県一宮市小信中島字宮浦にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は埴安姫神(はにやすひめのかみ)、天照皇大神 。通称、「堤治神社(ていじ/ていち~)」。
社伝によると、創建は飛鳥時代の706年、『続日本紀』にも記された木曽川の大洪水があり、その堤防鎮守の守護神として、埴安姫神を勧請したのが始まり。ただ、社地周辺は創建後もたびたび洪水があり、本来の所在地や遷座地には不明な点が多い。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「尾張国 中島郡 堤治神社 小」に比定されている。安土桃山時代の1594年、豊臣秀吉は木曾川の築堤に際し、五三の桐を透彫した銅製の釣燈籠を献進。また、江戸時代の1610年、伊奈忠次は堤防修築にあたり、水に蛇籠のこしらえがある象高作有銘の短刀を奉献。
1650年、未曽有の大洪水が発生、尾張藩2代藩主・徳川光友は当社に祈願を命じ、金城鎮護の浄砂一握りを三つ葉葵の紋付きの白木唐櫃に納め、刀一振りとともに奉納。1687年と1691年にも洪水があり、光友は自身の代で度重なる洪水を遺憾として、現存する常夜燈を奉納。1838年、11代藩主・徳川斉温は自筆の「満歳緑毛亀」の軸を奉納、美濃高須藩10代藩主・松平義建は「栖神法窟」の額面を奉納した。江戸期までは、尾張国一之宮の真清田神社の境外末社であったが、明治時代に入り独立し村社に列し、その後、県社に昇格した。
当社は、名鉄尾西線・奥町駅の西南西1.5kmの木曽川東岸の堤防そばにある。周りは閑静な住宅街。境内は広く、社殿等構造物も大きく、多くの古木に覆われ、古社ならではの厳かな雰囲気が漂っている。社殿北側にある境内社を含め、丁寧に見て廻ると見応えは十分。
今回は、尾張国の式内社、愛知県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後、大雨ということもあって、自分以外には参拝者はいなかった。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居の手前右側にある、銅板屋根の堂々とした<手水舎>。
鳥居の手前左側にある<平和の礎>。名古屋出身の海部俊樹元首相の筆。
鳥居をくぐると、目の前に<神橋>。
神橋の左手にある<磐座>。後方は参集殿かな。
神橋の背後から<拝殿>を望む。
神橋の背後から右前方に見える大きな建物。祈祷殿かな。
拝殿前左側にある<狛犬>。まだ新しそう。
拝殿前右側にある<狛犬>。
右側の狛犬の後方にある<神馬像>。
<拝殿>全景。堂々とした構え。
<拝殿>正面。
拝殿から振り返って境内を望む。
拝殿の右側から本殿後方に廻る。道に面した別途入口がある<招福稲荷神社>。
石鳥居をくぐって右側にある境内社。左から順に<金刀比羅社>、<熱田社>、<秋葉社>。
<招福稲荷神社>の赤鳥居と社号標。
<招福稲荷神社>の社殿。両側の白黒カラーの狛狐がかわいらしい。(o^―^o)
拝殿前まで戻って、社殿左側を見て廻る。まず拝殿に向かって左側にある<子安神社>。
社殿左側にある<むすびの夫婦石>。長寿と繁栄の象徴「鶴と亀」に見立てた一対の石。
社殿左側最奥にある<御神木>。「三位の大銀杏」と呼ばれ徳川家の御手植と伝わる。
境内南西端に戻って<社務所>。御朱印はこちら。月参りのスタンプカードをいただいた。(^_^;)
社殿前から見た<社殿>全景。古社ならではの厳かな雰囲気が心地良い! (^▽^)/
御裳神社参拝後に足を運びました。
またもやっ!雨が……
何故か、雨降りさんになっちゃう参拝の様です。。
今回は、限定の御朱印もさることながら、色々と思う事があったので📸してあります
中日新聞に掲載の
大みそか「良縁を見つけて」
本殿
由緒書き
境内案内
オリンピック記念石
祓所
神橋
正面からみた全体
お守り各種
お守り
今月の御朱印
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
31
2