さくらてんじんじゃ
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楽しみ方櫻天神社のお参りの記録一覧

名古屋市中区の桜通に面したビルとビルの谷間に鎮座する神社です。
参道の入り口には小さな鐘楼がありました。
これは「時分鐘」という昼夜それぞれ12時に鐘を撞いて時を知らせていた鐘を模したものだそうです。
明治6年に廃止されたそうですが、実際には高さ7.5mもあったようです。
そして鳥居の先には紅白の梅鉢の紋が掲げられた神楽殿。
その神楽殿の手前を右に曲がるとすぐに拝殿がありました。
とても暑い午後だったので他に参拝される方もいらっしゃらず、ゆっくりとお参りさせていただきました。
御朱印をいただきたかったのですが、社務所は15時までということで、一足遅かったようで社務所が閉まったあとでした。
御祭神 菅原道真公
<御由緒>~境内の由緒書より~
織田信秀(信長の父)は菅原道眞公を深く信仰し京都の北野天満宮より、公の神像を勧進して那古野城中に祠を祀った。これを天文七年(1538年)現在の地に移した。愛知県下で最も由緒ある天神社で元治、宝暦年間や昭和二十年三月の大空襲など三度の戦火にも御神体は氏子により守られ現在祀られている。
祭神菅原道眞公は代々文章博士をつとめる家に生れ、十才にしてすべての学問を修め、とくに書道では弘法大師・小野道風・菅原道眞の三人は書道の三聖といわれたことから学問の神様として崇敬されてきた。
市博物館に所蔵されている「名古屋名所図絵尾張名所団扇絵」には桜天神社祭礼(三月・九月)の植木市の賑わいの様子が描かれ昭和初期までの繁栄ぶりがしのばれる。現在春秋の大祭には献書会が開かれ学業向上、入試合格祈願の参拝者が多い。
参道入り口の時分鐘を模した鐘楼
鳥居の右の建物は社務所ですが、窓も梅鉢の紋になっていました。
鳥居脇にはひっそりと狛犬さん
拝殿
由緒書
神社敬称の由来
神楽殿
末社
白太夫社、金刀比羅社、猿田彦社、秋葉社、少彦名社、大黒社、蛭子社
手水舎「願の水の牛」
自分の年の数だけ牛に水をかけると願いが叶うと言われているそうで、願い事を書いた柄杓がたくさん奉納されていました。
近くで撮影するとお名前などが写ってしまうため、奉納された柄杓の写真は撮っていませんが、3枚目の鳥居の写真の左手に奉納された柄杓が写っています。
手水舎「桜の井戸」
鷽鳥(うそどり)から水が出るようになっていました
撫で牛
社務所

昼食で立ち寄ったエリアに近かったのでお参りしてきました。
直書きで拝受しました。
通常の御朱印です。
社号標と正面の鳥居です。
由緒書きやその他の謂れを確認できます。
拝殿の様子。限られたスペースに効率的に配置されています。
手水舎の吐水口はおそらく鷽。
似た形の像が拝殿横にもありました。
こちらは「願の水の牛」。
自分の歳の数だけ水をかけると願いが叶うとのことですが、数え方が独特です。
なで牛の像。頭をよくしたり、体の悪いところを治したりといった御利益があるとのこと。
境内には神楽殿もあります。
今日も元気におかげ犬。
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