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ちょうふくじ和光山

長福寺
愛知県 中京競馬場前駅

長福寺について

今川義元の供養寺


桶狭間の戦い後、信長が境内で今川義元やその武将の首検証を行なったと言われる。首検証に立ち会った林阿弥は義元らの菩提を弔うために訪れ、持参した阿弥陀如来を御本尊として祀ったと伝わる。

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ハマの「寺(テラ)」リスト
ハマの「寺(テラ)」リスト
2022年07月16日(土) 13時09分36秒
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名古屋から名鉄線で「有松駅」からバスで約10分。浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。

桶狭間の戦いで敗死した今川義元の供養寺。1538年、善空南立によるもので今川勢の労をねぎらったそうです。
ここから少し東の名古屋短期大学の裏手が今川義元の本陣跡があります。

桶狭間の戦い
1560年6月12日、織田信長軍と今川義元軍の合戦。
25000〜30000にかけての大軍を率いての尾張侵攻を目指した今川義元軍に対し、
2500余とされる織田信長軍が本陣を奇襲して、今川義元を討ち取った。

長福寺の周辺

桶狭間の戦いの概要です。

長福寺の周辺

最寄りのバス停より一つ手前、「桶狭間合戦場公園」。ここが主戦場でした。
討ち取られた今川義元のお墓もここにあります。

長福寺の周辺
長福寺のその他建物

合戦場公園から歩いて5分。寺院に着きます。

長福寺のその他建物
長福寺の山門・神門

山門です。

長福寺のその他建物
長福寺のその他建物
長福寺の末社・摂社

地蔵堂です。

長福寺の仏像

観音堂です。

長福寺の本殿・本堂
長福寺のその他建物
長福寺の仏像
長福寺の本殿・本堂

本堂です。

長福寺の自然

供養杉と呼ばれる大杉。
この下に今川義元公の首校証の跡

長福寺のその他建物

首校証の跡。
織田信長が討ち取った今川義元の首を本人と確認する首実検を行った場所です。

長福寺のその他建物
長福寺のその他建物

弁天池。
桶狭間の合戦後にここで血のついた刀を洗ったといわれ「血刀濯ぎの池」と呼ばれています。

長福寺の末社・摂社

弁天池の上流には、今でも水が沸いています。
14世紀ころ、南朝の落武者が隠れ住んだ村と云われています。

また、「桶狭間」の地名の由来は、ここの泉に浮かぶ桶が廻る様子から「桶廻間」と云われています。
その傍らにあるのが竜神様の祠です。

長福寺の地蔵
長福寺の周辺
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歴史

和光山天澤院と号する浄土宗西山派(現在、西山浄土宗)の寺院。天文七年(1538)、善空南立上人の中興開山。永禄三年(1560)五月、今川義元の軍勢が、桶狭間に到来すると、この寺の僧は酒食を献じたと伝えられる。この後、戦況は織田信長に有利に展開し、今川義元はこの地で討死にする。
寺伝に依れば、当山は今川義元に仕える林阿弥が、今川方武将の首検証を命じられた所で、境内に放生池は、別名「血刀濯ぎの池」と言われている。御本尊の阿弥陀如来像は、林阿弥が駿府から持参したもので、今川義元ら戦没者を供養するために奉安されたものである。駿府から寄付された諸品の内に、今川義元の御霊像があったが、火災のために焼失したという。現在、当山に安置される今川義元像は、今川家の縁者、渡邊家(三河江原村)が、正徳四年(1714)に奉納したものである。

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長福寺の基本情報

住所

愛知県名古屋市緑区桶狭間427

行き方

名鉄名古屋本線「中京競馬場前」駅から徒歩18分

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名称

長福寺

読み方

ちょうふくじ

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号052-622-7009
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号

和光山

宗旨・宗派
創建時代

天文七年(1538)

開山・開基

善空南立和尚

ご由緒

和光山天澤院と号する浄土宗西山派(現在、西山浄土宗)の寺院。天文七年(1538)、善空南立上人の中興開山。永禄三年(1560)五月、今川義元の軍勢が、桶狭間に到来すると、この寺の僧は酒食を献じたと伝えられる。この後、戦況は織田信長に有利に展開し、今川義元はこの地で討死にする。
寺伝に依れば、当山は今川義元に仕える林阿弥が、今川方武将の首検証を命じられた所で、境内に放生池は、別名「血刀濯ぎの池」と言われている。御本尊の阿弥陀如来像は、林阿弥が駿府から持参したもので、今川義元ら戦没者を供養するために奉安されたものである。駿府から寄付された諸品の内に、今川義元の御霊像があったが、火災のために焼失したという。現在、当山に安置される今川義元像は、今川家の縁者、渡邊家(三河江原村)が、正徳四年(1714)に奉納したものである。

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