はましんめいしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
愛知県のおすすめ2選❄️
おすすめの投稿
周りを建物に囲まれて陽当たりが悪くなっています。
こちらの神社には市内最古の碑があります。







本殿右手に名古屋市内最古の十七夜月待碑
名古屋市指定文化財
天正17年(1589)
梵字があり、真ん中が本尊である勢至菩薩、左右が毘沙門天と不動明王です。

本殿左手に斗帳寄進碑
名古屋市指定文化財
伊勢神宮に斗帳を寄進した記念碑。



以前よく行き来していた名古屋のコミケの時に、チラッと見えて存在は知ってました。
場所が場所だけに中々行ける気がしなく、今回も逆方向に歩かないといけないのですが、まぁ駅近(5分以上早歩きした)だろうと思い行って来ました、
たぶん、降雨でなければもっと早く行けたのかな?と…

濱神明社
濱ということは、以前はこの辺りが海岸線だったのでしょうね。


鳥居

手水舎は道路挟んで反対側
という事は、道路にて寸断される前は、もっと土地が大きかったのでは?
と現地見に行って初めて知るというパターン。

少し高いところに本殿

天下泰平と天照皇大神宮の灯籠が1基

修覆 安政三年辰六月吉日
願主 ○山○○ 杉屋佐助

ねずみもちではない謎の実

賽銭箱と本殿

これは!?

天正17年巳巳5月吉日○○ 十七夜開眼供養○
梵字が5文字
所 尾○愛智群今野住人 四郎五郎現世安穏後 ○○

梵字が…

濱神明社の紹介が梵字の碑になっていますね
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
昔はこの辺りを呼続の浜といい、渡船場がありました。土居の浜には塩焼所があり伊勢神宮に塩を奉納していました。害虫を除き五穀豊穣を祈るため天照大神をまつりました。明治41年(1908)に津賀田神社に合祀されましたが、昭和15年(1940)に今の場所にうつされました。境内には天正17年(1589)の刻銘がある市内でもっとも古い月待供養碑、神道関係の碑としてほとんどない斗帳寄進碑(対のうちの一基は津賀田神社にある)、西行の和歌を愛した人が作ったという西行腰掛石があります。
歴史をもっと見る|写真












| 名称 | 濱神明社 |
|---|---|
| 読み方 | はましんめいしゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 天照大御神 |
|---|---|
| ご由緒 | 昔はこの辺りを呼続の浜といい、渡船場がありました。土居の浜には塩焼所があり伊勢神宮に塩を奉納していました。害虫を除き五穀豊穣を祈るため天照大神をまつりました。明治41年(1908)に津賀田神社に合祀されましたが、昭和15年(1940)に今の場所にうつされました。境内には天正17年(1589)の刻銘がある市内でもっとも古い月待供養碑、神道関係の碑としてほとんどない斗帳寄進碑(対のうちの一基は津賀田神社にある)、西行の和歌を愛した人が作ったという西行腰掛石があります。 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
















10
0