きりしまみねじんじゃ
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楽しみ方霧島岑神社のお参りの記録一覧
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霧島は、噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場として日本有数の霊場であり、、霧島で修行をする修験者たちの拠点となったところ、霧島岑神社は、性空上人が開いた(整備した)霧島六所権現のひとつです。
当時 霧島岑神社は高千穂峰中腹(高千穂峰-御鉢の鞍部にある、せたお(脊門丘・瀬多尾等の文字をあてる。)に座し霧島中央権現宮とも呼ばれていた。
鳥羽天皇の天永3年2月3日、「御鉢」が噴火、社寺共に焼失。その後、高千穂峰-矢岳間等(新瀬戸尾、岡原、夷守岳中腹)など、霧島噴火に伴うたび重なる焼失で、各所に遷座、1873年(明治6年)に現在の場所に遷されたもの。
1874年(明治7年)に同じく六所権現の一つ「夷守(ひなもり)神社」と合祀、現在の霧島岑神社となっている。
島津義弘が飯野城に居た頃は、特に当社を敬仰、度々参拝したという。
当時は霧島中央権現の名が高く参拝の徒が四方から雲集したが夷守岳へ遷宮の後漸く少くなったという。
出展元:現地案内板より。

【日向國 式内社巡り】
霧島岑神社(きりしまみね~)は、宮崎県小林市細野にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は瓊々杵命、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命(皇祖・日向三代とその配偶神)。旧称は「霧島山中央六所権現」で、霧島六所権現の1社(2/6)。明治時代に別の霧島六所権現である夷守神社(旧称「夷守六所権現」)を合祀している(3/6)。
創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』837年条に「日向國諸県郡霧島岑神」が官社に預かり、神階奉授の記載がある。『日本三代実録』858年条でも神階奉授の記載がある。また927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。社伝によると、天慶・天暦年間(10世紀中頃)、性空上人が当社に参籠の折、山麓四方に夷守神社他4社を創建し、当社を合わせて霧島六所権現と称したという。1112年の韓国岳噴火、1167年の大幡山噴火、1234年の火常峰(御鉢)噴火、1716年の新燃岳噴火と続き、その度に遷座と社殿再建を繰り返し、1729年に夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、夷守神社を合祀して、夷守神社跡地に遷座して現在に至っている。
当社は、JRえびの高原線・広原駅の北西2.5kmの農耕地帯の外れの平地の小高い場所にある。県道104号線から少し逸れると森の入口が境内入口で、緩やかな傾斜のある樹木のトンネルを抜けると、空がぽっかり空いた社殿周りに辿り着く。社殿周りには数社の境内社と社務所のみがある。由緒を読む限り、霧島六所権現の中心的な神社だが、境内の造りからすると最も普通の神社(他がそれぞれかなり特徴のある神社とも言える)。
今回は、日向國の式内論社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも何組か、家族連れなどの参拝者が訪れていた。
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(2017年<平成29年>)1月に参拝した時のものです。
宮崎県小林市にある霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)へお参りしました。
この場所は夷守神社の跡地で、霧島岑神社が1873年(明治6年)に夷守神社を合祀したことにより霧島岑神社が残ったため、夷守神社は現存しません。
霧島六社権現のひとつに数えられていて、霧島信仰の中心ともなる神社です。
御祭神は次の通りです。
・瓊々杵命(ににぎのみこと)♥木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
・彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)♥豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・鸕鷀草葺不合命(うがやふきあへずのみこと)♥玉依姫命(たまよりひめのみこと)
三組の夫婦神、合計六柱の神様が祀られています。
御朱印を頂きましたが、数年前のものですので、現在は文言などの内容が少し変わっているみたいです。
御朱印帳も新しいデザインのものが販売されている模様です。
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