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杵衝神社ではいただけません
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名称杵衝神社

詳細情報

ご祭神《主》素盞嗚尊
ご由緒

創祀年代は不詳。『甲斐国社記・寺記』によると、
景行天皇の御宇、国造塩海宿禰によって勧請された美和明神の古廟。
『山梨県神社誌』には、当社は式内社(桙衝神社だろう)であり
甲斐国二之宮・美和神社の古社地であるとある。

古くは山宮様、山宮喜筑明神とも呼ばれ、
明治以前は、御射的祭、御湯立祭、騎射祭などが行われていたという。
また、美和神社の神幸が盛大に挙行されていたが、現在は中絶されているらしい。

美和神社の社伝には、当社同様、景行天皇40年日本武尊東征の際に、
大和大三輪神社を勧請し、国造塩海足尼を祭主として祀ったのがはじめ。
その後、一条天皇の御代(980~)に、甲斐国二之宮の号を受けたとあり、
当社からの遷座の記述はないのだが、一時期「杵衡神社と称し」とある。

もし、当社が美和神社の古社地であるなら、杵衡(きつき)の社号から
本来は、出雲の杵築神社(現出雲大社)からの勧請のような気もするが、
いつの頃か、大和の三輪と同神として混同、あるいは府会され、美和となったのかもしれない。

ただし、美和神社は三代実録の貞観五年(863)六月八日に
「甲斐國從五位下勳十二等物部神。美和神從五位上」とあり、
10世紀の延喜式に「桙衝神社」として記されているのも不自然な感じがする。

当社は古くは山宮様とされていたことから、里宮としての美和神社と当社は一体と考えられ、
その後、美和神社が発展して、二之宮とされたということだろうか。
一之宮・浅間神社も最初の鎮座地は山宮とされている。

また、美和神社が大物主命(大己貴命)を祀り、当社が素盞鳴尊を祀っている形態は、
出雲大社と後方に祀られた素鵞社との関係に見えなくもない。
https://genbu.net/data/kai/kituki_title.htm

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