御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
杵衝神社ではいただけません
広告
名称杵衝神社

詳細情報

ご祭神《主》素盞嗚尊
ご由緒

創祀年代は不詳。『甲斐国社記・寺記』によると、
景行天皇の御宇、国造塩海宿禰によって勧請された美和明神の古廟。
『山梨県神社誌』には、当社は式内社(桙衝神社だろう)であり
甲斐国二之宮・美和神社の古社地であるとある。

古くは山宮様、山宮喜筑明神とも呼ばれ、
明治以前は、御射的祭、御湯立祭、騎射祭などが行われていたという。
また、美和神社の神幸が盛大に挙行されていたが、現在は中絶されているらしい。

美和神社の社伝には、当社同様、景行天皇40年日本武尊東征の際に、
大和大三輪神社を勧請し、国造塩海足尼を祭主として祀ったのがはじめ。
その後、一条天皇の御代(980~)に、甲斐国二之宮の号を受けたとあり、
当社からの遷座の記述はないのだが、一時期「杵衡神社と称し」とある。

もし、当社が美和神社の古社地であるなら、杵衡(きつき)の社号から
本来は、出雲の杵築神社(現出雲大社)からの勧請のような気もするが、
いつの頃か、大和の三輪と同神として混同、あるいは府会され、美和となったのかもしれない。

ただし、美和神社は三代実録の貞観五年(863)六月八日に
「甲斐國從五位下勳十二等物部神。美和神從五位上」とあり、
10世紀の延喜式に「桙衝神社」として記されているのも不自然な感じがする。

当社は古くは山宮様とされていたことから、里宮としての美和神社と当社は一体と考えられ、
その後、美和神社が発展して、二之宮とされたということだろうか。
一之宮・浅間神社も最初の鎮座地は山宮とされている。

また、美和神社が大物主命(大己貴命)を祀り、当社が素盞鳴尊を祀っている形態は、
出雲大社と後方に祀られた素鵞社との関係に見えなくもない。
https://genbu.net/data/kai/kituki_title.htm

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ