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かんとうごしゃいなりじんじゃ

関東五社稲荷神社
栃木県 堀米駅

御朱印について御朱印
-
パーキング
駐車場
なし

なし

関東五社稲荷神社について

藤原秀郷公創建の神社の一つ。
関東の有力稲荷五社を勧請合祀。
一瓶塚稲荷神社を初めとして、佐野周辺の稲荷社の多くはここから再分霊・勧請されたものである。

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くし
くし
2022年02月15日(火)1703投稿

この日はしばらく寺社巡り止めてたことへのリハビリのようなものだったので、御石稲荷だけ拝んで帰ろうと思ったのですが、気分がノッてきたので無人社にもう一つ行ってみることにしましたw

ここは藤原秀郷公が、平安時代に相模国の松岡稲荷大明神(鎌倉稲荷社に比定)を勧請したもので、同時に烏森、王子、新福院、大栗稲荷も合祀したため関東五社稲荷と呼ばれるようになったとのこと。
後に秀郷公の子孫の佐野成俊公が一瓶塚稲荷神社を建立し遷座。
いわば自分の産土神の元宮のようなものなので前々から参拝してみたかった所です。

祭神は、伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴尊・・・って稲荷神いねーし!?(;゚Д゚)
おそらく一瓶塚作った時に稲荷様だけ持ってっちゃったんじゃないかと(^^; しかし見事に男神だけ残したな・・・成俊公、俺と神様趣味が近いかもしれないwww

唐沢山の少し南にある丘の上に立つ神社です。
この辺りは例の真田親子の「犬伏の別れ」で有名な犬伏という土地ですが、こんな地名説話が伝わってます。

むかしむかし・・・この辺りの山には凶悪な大猿がいて、大猿の怒りを沈めるために、毎年娘を一人選んで生贄として八幡神社に捧げていました。
(豊作祈願のために娘を生贄にしていたという別の伝承もあったりする(;゚Д゚))
ある日、この地を通りかかった山伏が生贄の風習を止めさせるため、近江からちょっぺ太郎という大犬を連れてきて、娘の代わりに神社に潜ませました。
その晩、山から凄まじい咆哮が聞こえ、翌朝恐る恐る村人が様子を見に行くと、ちょっぺ太郎と大猿は相討ちになってともに死んでいました。
感謝した村人はある丘にちょっぺ太郎を葬り手厚く供養したそうです。
「丘に犬が伏せている」または「山伏が犬を連れてきた」という事から、この地は犬伏と呼ばれるようになったとのこと。

・・・もっともこの説話自体は信州や遠江を中心に伝わる「早太郎伝説」の類話らしくて、結構日本中にあるらしいんですけどね(^^;
ちなみに探してみましたが生贄が捧げられたという八幡神社も犬伏地区にはないようです。
(近くの堀米とか黒袴にはあるのでそこかもしれんけど)
ただ地名自体は大和時代から伝わる相当古いものらしく、もしかしたらこの関東五社稲荷のある丘がちょっぺ太郎の葬られた丘、あるいはその元となる何らかの歴史的事件があった丘なのかもしれません。
そんな古代ロマンに浸りつつ神社を後にしましたw

関東五社稲荷神社のその他建物

駐車場なし
この写真の少し右手の方に道路が広くなってるところがあるのでそこに駐車

関東五社稲荷神社のその他建物

燈籠にお狐様の彫刻!
こういうの見るとテンション上がる(*゚∀゚*)

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関東五社稲荷神社の基本情報

名称関東五社稲荷神社
読み方かんとうごしゃいなりじんじゃ
通称稲荷さま

詳細情報

ご祭神《主》伊弉諾命
《配》素盞嗚命・於褒娜武知命
《合》松岡稲荷・烏森稲荷・王子稲荷・新福院稲荷・大栗稲荷
創建時代天慶5年(942年)
創始者藤原秀郷
ご由緒

社記よれば、創建は平安時代の天慶5年(942年)、藤原秀郷が相模国松岡稲荷大明神をこの地に移し、宮を建設した。
松岡稲荷は、飛鳥時代の大化2年(646年)に創建されたもので、御祭神は伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴尊。 符合するものとしては、神奈川県鎌倉市浄明寺には藤原鎌足伝説が伝わる鎌倉稲荷社がある。
同時に烏森、王子、新福院、大栗稲荷の4社も当地に移されたので、これより関東五社稲荷大明神と称するようになったという。 当社はこのうち大栗稲荷で、下野国冨士村の地ともされる。
鎌倉時代の文治2年(1186年)、佐野荘司成俊が田沼一瓶稲荷を奉遷した。
建仁2年(1202年)9月、西場太郎成行が西場稲荷を奉遷した。
元久元年(1204年)2月、小山新左衛門尉朝長が小山稲荷を奉遷した。
元久2年(1205年)2月、阿曽沼四郎広綱が阿曽沼金屋稲荷を、藤倉太郎直政が熊谷稲荷を奉遷した。
文保2年(1318年)2月、園田四郎左衛門尉光氏が細谷稲荷を奉遷した。
元享2年(1322年)2月、藤岡伊勢守房行が藤岡稲荷を奉遷した。
戦国時代の文亀元年(1501年)2月、岩崎左馬助重長が岩崎稲荷を奉遷した。
永禄6年(1563年)2月、青山美濃照久が田島稲荷を奉遷した。
寛治2年(1088年)2月、小野寺式部大輔通成が小野寺稲荷を奉遷した。ただし、この年号には誤りがありそうで、恐らく江戸期の何かの年号と混同したもの。
これら10祠の元宮が当社で、当社は大栗稲荷山稲荷とも称された。
天正13年(1585年)、小田原の北条氏直が唐沢山城を攻め、同城の至近に位置した当社も兵火に遭い、社殿・宝物・古記録を焼失した。
明治6年(1873年)、現社号に改称し、現在に至る。

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