かわちくにたまじんじゃ
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神戸市立王子動物園から北へ約1kmほどのところになります。
こちらも約3年ぶりの参拝。
拝殿にて参拝していると背後から足音が。
そして末社のほうへの足音が消えていったので、拝殿前を独占してはいけないな!と思い、そちらのほうを見ると!!
ご近所のご老人でしょうか。 末社前の石段に腰かけてビール?を飲まれているようでした😅
とても暑い日だったし、ちょうどよい木陰だったので、気持ちはとてもわかります。
御朱印はインターホンを押すと、奥様が出てきてくださり快くご対応くださいました。
<主祭神> 大巳貴命
<配祀神> 少彦名命 菅原道真公
<御由緒>~兵庫県神社庁HP~
当社の創始は、伊勢神宮開社の頃(西暦前3年)であると語り伝えられているが、正確な年号は判然としない。しかし、『延喜式神祇部』に所載の神社として、千数百年前既に由緒ある名社として尊崇されていたことが想像できる。
当社に祀られている御祭神の大己貴命は、少彦名命と力をあわせ国土経営に当られ、慈愛の心篤く福徳円満、医薬酒造の祖神、また、七徳兼備を称えられ広く尊崇されているが、一説には、摂津国造凡河内忌寸の祖を祀っていたのであろうといわれている。
延喜年間(901~)、菅原道貞公が筑紫の太宰府へ左遷の途次、御影の浜に船を泊めたとき、菅公との別れを惜しみひそかにこの地まで下向した師父尊意僧正(延暦寺第十三代座主)と社頭において餞別の際、その応待が極めて慇懃丁寧なるを垣間見た村人達が、菅公の没後、その勧学文墨の徳を慕って御霊を勧請合祀し、俗に五毛天神と称せられるようになった。
当社は元、この地方の大氏神として厚く崇敬され、昔は稗田・鍛冶屋・山田・篠原の四ケ村も氏子となっていたが、現在は五毛・畑原・上野の旧三ケ村が氏子である。
手水
厳島神社・箕岡神社
伊勢神宮開社の頃(紀元前3年頃)の創祀と語り継がれているそうですが、正確な年号は判らないそうです。
延喜年間(901年~)、菅原道真公が筑紫の太宰府へ左遷の途中、別れを惜しみこの地まで下向された師父・尊意僧正(延暦寺13代法王)と社頭においての餞別を垣間見た村人たちが、菅原道真公没後その霊を勧請合祀して五毛天神と称するようになったとか。
その後、享保年間に日本輿地通志畿内篇(五畿内志)にて並河誠所が五毛天神を凡河内氏の奉祀する河内国魂神社に比定したとのこと。
地元の庄屋さんが大坂町奉行所に呼び出され、無理やり名前を押し付けられたらしいですよ。
だからなのか、境内ののぼりや提灯には「五毛天神」とささやかな抵抗?😅
なお東隣には海蔵寺がありますが、こちらは河内國魂神社の神宮寺でしたが、神仏分離令により海蔵寺として独立したものになります。
神戸市灘区国玉通3-6-5
鳥居
鳥居をくぐってまず左手に手水舎
青銅唐獅子水口
写真では伝わりにくいですが、そこそこ大きくて妙にリアリティがありました
手水舎を過ぎて階段を数段登ったところ両脇には、狛馬?狛神馬?
拝殿
6種類の絵馬が置かれていました
境内社
厳島神社・箕岡神社
境内社 荒川稲荷神社と遙拝所
なで牛
絵馬堂かな?
菅公手植松だと思われます
国玉通にある神社。
道路の名前知らんけど三宮まで通ってるバスが通ってるバス通りから鳥居が見える、特徴のない住宅街の一角。真隣が海蔵寺さん。
駐車場なし
バス通りに、鳥居と大きな石柱「式内河内国魂神社」
鳥居をくぐりまっすぐ進めば階段で、神社境内へ。
左手に御手水と会館。
階段を登り正面が拝殿、左手に授与所、右手に荒川大明神。遥拝所もあるがなんの遥拝所かわからん。
神社のお名前「河内国」となっているが、
令制国的の「河内国」は大阪の東側らへんなんでこの辺は河内国じゃない。ここだと摂津国になります。
調べたら河内国が本拠地の河内氏が作ったんじゃないかという説がある。河内◯◯氏ってすごく多いし、その誰かかかな。いずれにしろ創建は古い。
出張帰りに参拝です。
バスの待ち時間でお参りなのでざっくりとしかお参りできず神社の人のお話が伺えなかったのが残念。
なかなか良い地元の氏神さんって感じがする。
鳥居
拝殿
お稲荷さん
境内
(全然水を出してくれない)御手水
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