からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ
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上野国那波郡の式内社であり、同国八宮です。社名の通り火雷神さまを祀る神社であり、九宮の倭文神社とは上の宮、下の宮で対応しています。上野国総社神社にある上野国神名帳において鎮守10社の8番目に記載されて、南北朝時代に編纂された『神道集』において初めて「八宮」と明言されました。
《社号碑》
《鳥居》
《由緒書き》
まさかの当社の由緒書きに雷の神様=上州名物と明言されるとは…たしかに群馬から栃木にかけて雷神社、雷電神社がめっちゃあります。
《表参道》
注連縄が頭上にあるのかと思いきやまさかの普通に松の枝先だとは…
《手水舎》
蛇口式です。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
火雷神社は式内社において当社と山城国の乙訓坐火雷神社と大和の葛木坐火雷神社と火雷神社と意外に少ないです。そして上野国には当社と賀茂神社、美和神社があり、それぞれが大和国の葛木坐火雷神社、高鴨神社、大神神社から勧請されたと考えられています。
《社務所》
なにやら氏子さんたちが作業をしていました。
《神楽殿》
《記念碑》
《末社群》
《授与品について》
こちらのお宅で御守りや御朱印を受けられます。
火雷神社の色彩豊かな拝殿が好きです✨
参道を歩いていくと一の鳥居⛩があります。
参道を真っ直ぐ行った右手に手水舎。
真っ直ぐ行くと拝殿と狛犬さん。
色彩豊かな拝殿です。綺麗に飾られていました。
火雷神社。扁額。
拝殿を色々な角度から撮ってみました。
見えずらいですね。
ごめんなさい🙇♀️
暗すぎて…。
見えない🫣
神楽殿?🧐
火雷神社(からい~/ほのいかづち~)は、群馬県佐波郡玉村町にある神社。式内社、上野国八之宮。旧社格は郷社。主祭神は火雷神(ほのいかづちのかみ)。利根川右岸に位置し、利根川左岸にある倭文神社(しどり~;式内社、上野国九之宮、上之宮)に対して「下之宮(しものみや)」と称される(なお、中世までは地続き)。
社伝によると、創建は第10代崇神天皇元年(紀元前97年)で、第12代景行天皇の代に東国に派遣された御諸別王(崇神天皇四世孫)も当社を祭祀したという。当社の奉斎氏族は、壬申の乱で功をなした佐味氏(佐味君)とのこと。
国史の初見は『日本後記』で、平安時代初期の796年に賀茂神社、美和神社、火雷神社を官社と為すと記載されている。この3神はいずれも大和地方からの勧請と考えられている(賀茂神社は高鴨神社、美和神社は大神神社、火雷神社は葛木坐火雷神社)。平安時代中期の927年には『延喜式神名帳』に「上野国那波郡 火雷神社 小」と記載されている。『上野国神名帳』などの古文書によると、上野国において8番目から10番目の序列の神社であったらしい。
中世においては那波氏や新田氏から崇敬され栄えたが、那波氏の衰退とともに零落した。近世においては天神信仰の浸透により「火雷天神社」と称された。明治時代に入り、郷社に列した。
当社は、JR両毛線・伊勢崎駅の南西6kmの利根川の南岸にある。境内はけっこう広いが、周辺は住宅地で、一の鳥居から二の鳥居までの間は参道だけがかろうじて社地として残っている感じ。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、他に参拝者はいなかった。
境内南端の入口にある<社号標>。
参道進んで少し離れたところにある<鳥居>。
さらに参道進んで右手にある<手水舎>。
拝殿に向くと、参道上に松の木が架かる。
参道両側の燈籠。
<拝殿>全景。参道両側の<狛犬>は新しそう。
<拝殿>正面。朱色をベースに彫刻には鮮やかな配色。
拝殿裏の<本殿>も、朱色をベースに鮮やかな色遣いで華やか。江戸時代前期1645年の造営。三間社流造。
社殿左側の石製小祠はコンクリ土台で整然と並んでいる。
拝殿左側の<富士塚>。
富士塚の裏手、境内の西端には児童公園が。
社殿左側の境内社。
拝殿にむかって左手にある<舞殿>。
舞殿の左手にある<社務所>。
御朱印は<鳥居>近くにある宮司さん宅で拝受した。その際にいただいた<宝来鈴>。かわいらしい見た目に、良い音色~♪
歴史
当神社は、上州名物と一つなっている雷の神様である火雷神を祀ってある。景行天皇の時代に上野国の統治者御諸別王が祀ったと伝えられ、平安時代の延暦一五年(796)官社となり、延喜の制では小社に列して上野十二社の八の宮として、上野国の延喜式神明帳に従一位火雷大明神とかかれている。
鎌倉時代の初め、延久二年(1191)大江広元の子政弘は那波氏となり、その後那波郡地方の領主となって四町歩の田を神社に献じた。天正年間那波氏の滅亡で神社も衰えたが明治五年(1872)郷社となった。
現在の建物は江戸時代の慶長以降の建造で本殿は三間社流造である。
また、伊勢崎市上之宮の倭文神社と相対し、その上上之宮に対し下之宮といわれ、地名起源ともなっている。
麦蒔ゴシンジ(御神事)=当神社に伝わる祭りで、貞観四年(862)より始まり毎年五穀豊穣災難除けの秘密の神事を行い今日まで伝え行っている、旧暦10月末午の日丑の刻に神官が礼拝を始めると代表が神社の四面に注連縄を張り、神官が退出する時に丁度張り終えるようにする。
代表は一週間精進潔斎し、注連縄を張り廻らす時は声を出すことは厳禁とされ11月初午の日丑の刻に祭りがあけるまでは鳴物は禁止(馬がいたときは鈴もはずした)であり、注連縄を張るのを「ゴシンジに入る」という。深夜に行われるこの神事は古代の祭りの様式の面影を伝えているように思われる。【境内由緒書きより】
名称 | 火雷神社 |
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読み方 | からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ |
通称 | 火雷さま・下之宮 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり(通常は施錠されている) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主祭神》 火雷命 《配祀神》 那波八郎 保食命 菅原道真 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 第10代崇神天皇元年の創建 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 当神社は、上州名物と一つなっている雷の神様である火雷神を祀ってある。景行天皇の時代に上野国の統治者御諸別王が祀ったと伝えられ、平安時代の延暦一五年(796)官社となり、延喜の制では小社に列して上野十二社の八の宮として、上野国の延喜式神明帳に従一位火雷大明神とかかれている。
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体験 | 御朱印お守り祭り札所・七福神巡り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 火雷神社(からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ)は、群馬県佐波郡玉村町にある神社。式内社、上野国八宮。旧社格は郷社。 利根川右岸に鎮座しており、左岸に鎮座する倭文神社(上野国九宮、上之宮)に対して「下之宮(しものみや)」と称される。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 社伝では、第10代崇神天皇元年の創建という[1][2]。その後景行天皇(第12代)の代に東国に派遣された御諸別王(崇神天皇四世孫)も当社を祭祀したと伝える[1]。当社の奉斎氏族は、壬申の乱で功を成した佐味氏(佐味君)と考えられている[2]。 鎮座地の地名「下之宮」は、当社に由来するとされており、利根川を挟んで「上之宮」の倭文神社と対峙するが、中世の利根川変流まで両社は地続きであったという[3]。 概史[編集] 国史の初見は、『日本後紀』延暦15年(796年)に賀茂神社・美和神社とともに「那波郡火雷神」を官社と為すという記事である[4]。これら3神は、いずれ...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 例祭 (4月3日) 小祭 (10月17日) 上記のほか、旧暦10月末の午の日午前0時から旧暦11月初午の日の夜明けにかけての13日間、特殊神事「麦蒔御神事(むぎまきごしんじ)」が行われる。神事は貞観4年(862年)に始まったといわれる[1]。旧暦10月末の午の日の丑刻に秘密神事を行い、燈火を用いず微声で祝詞を奏上する[2]。その後は旧暦11月初午の日まで、神社四面にしめ縄を張って一切の立ち入りを禁じ、氏子も鳴り物・高声を禁じられる[1]。この神事は五穀豊穣と災難除けを祈るもので、古代の祭りの様子を伝える神事であるとして町の重要無形民俗文化財に指定されている[1]。 ^ ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「火雷神社 (玉村町)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%81%AB%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%8E%89%E6%9D%91%E7%94%BA%29&oldid=99407693 |
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